30

 男は疲れていた。
 こころの底から疲れきり、倦み腐っていた。
 毎日まいにち、会社と家とを往復するだけの生活。
 会社では、つまらぬ仕事に追いやられ、早く辞めろと肩を叩かれ続ける。
 家に帰れば、お世辞にも美しいとは言えぬ妻。そして自分に似て、全く可愛くない娘。
 身体ばかり成長し、この自分よりも知能程度の低い愚かな息子。
 父親である自分に対して、尊敬の欠片も抱かぬ家族たちが、自分勝手に、我が物顔で振舞っている。
 妻と顔を合わす度に、なぜこんな女と結婚したのだろうと思う。
 それはきっと、彼女も同じなのだ。
 ただ一つ違う点があるとすれば、自分はそれを決して相手に洩らしたりしないということ。
 娘も昔は、本当にごく幼いうちは可愛かったものだ。
 だがいまは、早く嫁にでも行ってくれぬかと、ただそれを願うのみ。
 しかし、あの容姿と性格では、それもおそらく難しいだろう。
 息子にしても、自分の子だ。優秀であるわけがないと、端から分かりきっていた。
 だが分不相応な夢をみた挙句、それに失敗して挫折したなどと言い張り、努力すら放棄してしまった。
 せめて自分程度の努力はしてくれると思っていたのに、最初から努力しようともしていなかった。
 いまでは世間が、時代が悪いなどと開き直って、よく分からぬ文士気取りだ。
 男には落ち着ける場所など、安らげるところなど、もうどこにもありはしない。
 通勤の電車が、少しだけほっとできる場所というのも、憐れなものだ。
 その平穏とて騒がしい若者や、その他の要因で簡単に破られてしまう。
 今日もわざわざ時間をずらし、帰りのラッシュを避けてうとうとしていた。
 ――と、
「だからさ、是非とも姫っちのお姉さん達を説得してもらいたい」
「うん、分かったよ。やってみる」
 静かなひと時は、少女達の元気な声に、いとも容易く破られた。
 舌打ちの一つもしてやりたい衝動を抑えつつ、薄目を開けて声の方を見やる。
{ほう……これは}
 何とも可愛らしい。まさに粒ぞろいの美少女たち。
 あの制服は……裕福な家庭の子女が通う、私立の有名な進学校のものだったはず。
 こんな時間に、寄り道でもしていたのだろうか?
 比較的に空いているとはいえ、座ることはできない車内。彼女たちがこちらに向かってくる。
 眠ったふりをして、空気を胸いっぱいに吸い込んだ。甘酸っぱい体臭が、男の鼻孔をくすぐる。
 可愛らしい少女たちの中に、ひときわ美しい娘が二人。
 そのうち一人は見事に均整の取れた、女らしい身体つきをしている。
 少女と大人の女のちょうど中間、乙女という言葉がまさにピッタリな印象だ。
 身長は150cm後半くらい、程よく発達した乳房とお尻が、女らしい丸みを帯びている。
 顔立ちは優しげで、大人しい感じだ。
 もう一人は――何といえば良いのか、分からない。表現しきれない。
 人形のような、つくりもののように整い過ぎた美貌。
 小柄で華奢な、繊細そうな身体。触っただけで、壊れてしまいそうだ。
 何故か彼女だけ制服ではなく、私服だ。おかげで、その細く長い手足がはっきりと分かる。
 身長は低いのに、まるでモデルのようにバランスが整っている。
 美しい。
 大きな瞳はきらきらと輝いて、くるくると表情を変える。
 引き締まった印象のある顔立ちなのに、とても甘ったるい感じもする。
 大切に育てられているのが、なんとなく分かってしまう。育ちの良さ、品の良さが滲みでている。
 ちょうど目の前に、彼女は立っている。その姿に、見惚れてしまう。
{可愛いな。綺麗な子だ――あれ?}
 ふわりと、彼女の方から甘い香りが漂ってくる。
 香水でもつけているのだろうか? ミルクのような甘い匂い。
 少女たちの中にあっても、明らかに違う感じがする、異質な香り。
 それを嗅いだ瞬間、男の中で長らく忘れられていた、熱い血の滾りが感じられた。
 『男の力』が湧き出してくる。
{なんだ!? これは一体? この香り……この子はいったい?}
 すでに枯れ果てたと思っていたモノが、いきり立つ。かつて無かったほどに、膨れ上がる。
{……天使? この子は天使なのか? そうだ、そうに違いない}
 唐突に、男は確信する。
 この少女は天使なのだ。自分を救いに来てくれた天の使いだ。
 彼女に気付いたのは、どうやら自分だけらしい。
 ならばきっと自分には、この子に救われる資格があるのだ。自分は最初の試練を突破したのだ。
 電車が停まる。
 少女たちが降りていく。
 男は何食わぬ顔で、少女たちについて降りてしまう。
 彼が降りるべき駅はまだまだ先なのだが、ここで彼女を見失うことは耐えられなかった。
{せめて、あの子がどこに住んでいるのか、それだけでも……}
 男は歩きだす。少女の導く天国に向かって――

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「じゃあな」
「じゃーねー」
「うん、ばいばい」
「月曜日にね」
 心と環、それに早苗と佳奈美は、それぞれの家の方向に歩き出す。
 忍は電車の方向が逆なので、すでに分かれている。
 心と環は途中まで帰り道が一緒だ。住宅地が同じで、心の家の方が少し遠く、奥まったところにある。
 早苗と佳奈美も近所に住むもの同士で、同じように一緒に帰る。
「心くん、やっと二人きりになれたね」
「うん」
 手を繋ぐ。なんとも可愛らしい姿だ。
 心は、何者かが同じ方向に歩いて来ているのを、すでに感じている。
 だが偶然に、同じ方向に帰る人がいるだけの可能性が高いので、まだ特に気にはしていない。
「佳奈美ちゃんにも困ったもんだね」
「そうね。でも、気持ちはちょっと分かるの……」
「どうして?」
「だって、心くんのお姉さん達みたいに、綺麗になりたいもの――きっと、女の子はみんな」
「そう、なんだ」
「あっ……ごめんなさい、私」
「いいんだよ。気にしてないから、ボクは男。こころは男、ね?」
「うん、心くんは男の子」
「だから思うんだ……姉さん達より、ずっとずっと環の方が可愛いし、キレイだよ」
「心くんたら……」
 しばらく無言で、二人は歩き続ける。
「なんだか、しばらく会えなかった間に、心くんが大人っぽくなった気がするの」
「そうかな?」
「今日だって、みんなをきちんとまとめて……とっても格好よかった」
 環は頬を染めて、心を見つめてくる。
「頼りがい、出てきた?」
「ええ、とっても……素敵」
「環」
 環の頬に、キスをする。恥ずかしそうに俯いてしまう環。

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 我ながら多情なものだと、心は思う。
 これではとても、清十郎のことを『浮気症』だ、などとからかえない。
 環に玲那、亜津子に千鶴、そして百合。
 彼女らのうち誰一人として、いい加減な気持ちで『好き』なわけではない。
 自分ではどうすることもできない、こころの奥深いところが、彼女たちを求める。
 彼女らに対する気持ちに優劣をつけるなど、もっての他だと思う。
 しかし、だからといって『みんな好き』では、それこそ失礼というものだ。
 だからあえて、一人だけと言われたら、いまの心は環を選ぶ。
 環に対する気持ちは、とてもとても『特別』なのだ。
 どうしてなのかは、心本人にもよく分からない。
 ひょっとしたら『心』の身体が、環を求めているのかもしれない。
 そんな風に心自身は考えている。

 環は一見すると、もともとの心の好みとは違うようにみえる。
 一人だけ年下であることも目立っている。
 しかし環も含めて、心が好きになる女性たち全員には、確かな共通点がある。
 それは『庇護者』であること。
 簡単にいえば、母性が強いとか、『お姉さん』タイプだとかそういうことなのだが……
 それは表面にみえる部分でしかない。大切なのは、その根本だ。
 魂の形として、愛する対象者を『護ろう』とする女性か、否かということだ。
 だから本質的には、年齢は関係がない。

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「もうすぐ、お別れね」
「環…うちに来ない?」
「えっ?!」
「冗談……だよ。ちょっと早いけど、おやすみ」
「心くんも、おやすみなさい」
 十字路で別れる。
 環の姿が完全に見えなくなるまで、心は見送った。
「さて、と」
 心は家に向かって歩き出す。
(やっぱり、ついて来てる……でも、ボクの方で良かった)
 二重の意味で確認するため、十字路であれだけの時間を過ごした。
 十字路で追い抜いていかなかったのは、どちらかを狙ってついて来ている証拠。
 そして相手は、いまだに心のあとをつけて来ている。
 狙われているのが環ではなくて、心はほっとしている。
 環の方について来ていたなら、逆に心が、相手の尾行を始めるところだった。
 どうするか……このまま帰れれば、別にどうでも良いのだが。
 ばればれの尾行を、相手はしつこく続けている。
 心が一人になったせいだろうか、相手は徐々に距離を狭めてきている。
(まあ、いいや。とりあえず帰ろう)
 このまま無視することに決めて、心は歩くペースを速めた。相手も当然のようにそれに倣う。
 だんだんイラついてくる。少し、いや、かなり気にいらない。
 喧嘩を売ってきた相手をあしらったことならば、何度もある。闇討ちを掛けられたこともある。
 とはいえ当たり前だが、『こういう』ヤツは初めてだ。
 本来なら、この手の輩は無視するに限るのだろう。男だった頃の心ならば、当然そうしたはずだ。
 しかし、自分が『そういう』対象として見られていることが、どうしても気に入らない。
 心は立ち止まると、ゆっくり振り返った。相手に声をかける。
「なにか、ご用ですか?」
 物陰から、相手が現れる。
 40代後半から50代前半くらいだろうか? 中年のサラリーマンだ。
「こんばんは、お嬢さん」
「こんばんは……」
 つい、挨拶を返してしまった。
「こんな時間に、君のような娘さんが一人歩きをしては、いけないな」
 いかにも、うだつの上がらない印象。こんな真似をするような人間にも見えない。
(どうして?)
「お家まで、送ってあげよう」
 にこやかな表情を浮かべて、ゆっくりと近づいてくる。
 荒事が得意なタイプではない。何かをやっている人間ではないことが、足の運びからも見て取れる。
 喧嘩慣れしていることもなく、それを隠す演技が出来るような人物でもない。
「けっこうです」
 拒否されても、構わずに近づいてくる。
「お嬢さんは、おいくつかな?」
「教えてあげません」
 距離に気を配りながら、相手の動きをチェックしつつ答えた。
「高校生のお友達といっしょだったね?」
「答えてあげません」
 男は顔色ひとつ変えず、にこやかなままだ。
「私にも、娘がいるんだ。だけどね、これが私に似て、全く可愛くないんだよ」
「…………」
(この人……へんだ)
 男は、心の反応など気にしていない。
 眼の色が、おかしい。近づいたことで、それがはっきりと分かる。
 他人の後をつけ回すような人間が、もとよりまともな訳が無い。
 しかし、そういうことではなく、おかしい。
 虚ろでありながら、何かでいっぱいに満たされたような、そんな眼をしている。
「さあ。お家はまだ遠いのかな?」
 手を差し伸べてくる。
 反射的に回り込みつつ、距離をとった。手はすでに、件のスロウイングナイフにかかっている。
 いつでも、使える。
「…? どうしたのかな?」
「近寄るな」
 睨みつけながら、心は相手の出方をうかがう。
 いっしゅん呆気に取られた男は、しかしすぐに笑顔に戻る。
「大丈夫だよ。何かするつもりなんて、危害を加える気なんてないから、ね? 私はただ、君のように可愛らしいお嬢さんが、一人でいることが心配で、それだけだよ」
「一人で平気です! だから、放っておいて下さい」
 強い口調で、はっきりと断る。
「いや、しかし…こんなに暗いし、人通りも少ない。何かあったら大変だ」
「あなたは、この辺りの方ではないから、ご存知ないのかもしれません。ここは古い家ばかりで、近所同士の付き合いも深いんです。いざとなったら、すぐに助けを呼べます」
 これは事実だ。
 心と環の家がある辺りは、もともと大きな旧家と裕福な家ばかりの住宅地だ。
 家の数も少ないし、それぞれの庭も広いので、人間の絶対数は少ない。
 その代わり、そうであるからこそ、ほぼ全ての家の者が顔見知りだ。
 ここまでくれば、目の前の男が何も知らない闖入者であることは、すぐに分かるし、確実なこと。
「だから、早くお帰り下さい」
「しかしねえ……現に私のような、よそ者が来ることだってありうるんだよ? 本当に平気かなぁ?」
 男の態度に、少しだけ変化が現れる。粘りつくような、嫌な感じがする。
「……試される、おつもりですか?」
(くそ、やっぱりか)
 男は答えずに、ゆっくりと距離を詰めてくる。
 もう、間違いあるまい。
 相手が詰めた分、心は下がって距離を保つ。男がどう出ても、対処しきれるように。
(面倒だな……逃げ込めるところは遠いし、ボクの声……届くかな?)
 確かに逃げ込めれば、助けてくれる家はいくらでもある。
 しかし、一軒づつの距離が遠すぎる。さらに今の位置はちょうど、とくに庭が広い家ばかりだ。
 そのうえ今の心の体力では、走って逃げ切れるかも不安。
 あまりに、間が悪過ぎる。
(やるしか……ないか)
 とりあえず、どうにか怯ませて逃げる。そのあとどこかに隠れて、助けを呼ぶ。
 これくらいしか方法がない。
(狙う箇所は、片足と両手)
 逃げるためとはいえ、殺すわけにもいかない。
 いまの心は一度捕まったら、もうそれでお終いだ。なす術がない。だから、両手を潰す。
 足については言うに及ばずだろう。
 ナイフは三本のみ、一度の失敗も許されない。
(まず先に手、最後に足……)
 掴みにくるときを狙う。
 正直にいって、怖い。怖くて堪らない。
 闘いに臨むとき、心はいつ、どんな時であっても、怖くなかったことなどありはしない。
 怖いのが当たり前、だからこそ注意深く、冷静でいられる。
 おやっさんの言葉を思い出す。
 ――天敵に追い詰められた獲物は、自らの命が絶たれるその瞬間まで、決してパニックにならない。
 最後の最後まで、冷静であり続ける。
「ゆえに、窮鼠は猫を咬む。お前は清十郎とは違う。あやつは生まれついての『狩るもの』じゃ。お前は違う。狩る側でも、狩られる側でもある、両方じゃ。それが本来の人間よ。だから心よ、恐怖を忘れるな。恐怖に囚われるな。恐れで、己が慢心を戒めよ。かつ、こころを凍りつかせるな。お前には、それが出来る。中庸――もっとも普通な、自然な覚悟の方法ぞ」
 覚悟を決めること。
 それはあらゆる意味で、『闘う』ときに必須のこころ構え。その方法には、人の数だけ種類がある。
 清十郎は炎だ。生まれついて、いや生まれる前から武人であることを決められていた彼にとっては、恐怖すら己を奮い立たす、燃料の一つに過ぎない。
 恐怖でこころを凍りつかせ、氷のように冷たく、冷静なこころを得るものもいる。
 最初から、恐怖を感じぬものもいるだろう。
 心はそれらの、どれでもない。
 あえて喩えるなら、心は水。恐怖で己を冷し、落ち着ける。かつ、決して凍りつかない――
(来る!)
 相手の接近に合わせて、左側に回り込む。がら空きの左腕に、ナイフを投げつける。
 深々と、それは突き刺さった。
「うわああ!!」
 男が、初めて驚きの声を上げる。傷口を押さえながら、男はのたうちまわる。
 心は相手との距離を保ちつつ、冷静に観察を続ける。
(これで、逃げてくれれば……)
 だが、
「はは……これは、これはずいぶんと、用意のいいお嬢さん、だ。安心したよ……」
 男は痛みで息を弾ませながらも、笑みを浮かべる。
(この人……こいつ、やっぱり、おかしい)
 突き刺さったままのナイフを放置して、男はジリジリと距離を詰めてくる。
 下手にナイフを抜けば、出血がひどくなる可能性が高い、賢明な判断だろう。
 しかしそのうえで、まだ心を諦めないとは……まともな精神状態ではあるまい。
 痛みで精神が高揚している可能性は、無いとは言えないだろう。だが、刀傷の痛みは特別だ。
 はっきりいって、ハイになる以前に、耐えられるものではない。
 それをこの男は耐えている。
 余程の覚悟か、或いは既にやけくそなのか……

**********************************************

{可愛いな……うちの娘とはまるで違う。やっぱり天使だ。あの子は天使だ……}
 男は少女たちの後をつけながら、そんなことばかり考えていた。
 例の、とくに美しい二人が同じ方向に帰っていくのも、偶然とは思えなかった。
 手を繋いで歩く二人の姿は、あまりに可愛らしく、微笑ましい。
 そのうち、やたらと大きな家ばかりが並ぶ住宅地についた。
{この辺りは、確か……}
 何となく覚えがある。
 以前まだ、外回りの営業をしていた若い頃に、何度か来たことがあった。
 旧家で地主だとか、役人や大企業の重役だとか、一角の金持ち連中ばかりが住んでいた町。
 彼女たちはどうやら、見た目どおりの『お嬢様』らしい……
 だが、己の妄想に囚われた男は、心を天使と信じて疑わない。
{あの子は天使だ。この世に決まった住処があるとは、思えない}
 だとすれば、心が天使だとすれば、これはどういうことなのか?
{誘われている? あの子はひょっとして、二人きりになるのを待っているのか?}
 ――と、天使がもう一人の少女の頬に、キスをした。
{う、うう……}
 妬ましい。女の子に嫉妬したなど、初めてのことだ。
 あの子は、自分がここにいるのを分かった上で、見せ付けているのではないか?
 今すぐに飛び出して、少女をひっ攫ってしまいたい衝動を、懸命に抑える。
 十字路で、二人は分かれた。
 天使は、もう一人の少女の姿が見えなくなるまで、その場で見送っている。
 ふたたび歩きだしたその後を、つけ始めて間も無く、彼女は立ち止まり振り向いた。
「なにか、ご用ですか?」
 まるで鈴の音のような、美しい声。
{やっぱり、誘っていたんだね? 私に気付いていたんだね?}
 男は喜びに打ち震えながら、少女と対峙した。

***********************************************

「うわああ!!」
 左腕の激痛に耐えながら、しかし喜びが湧き上がるのを、男は抑えることができない。
{これが、これが最後の試練だ。これに耐えれば、彼女と天国へ行ける}
 そう思えば、痛みなど何でもない。
 男はすでに狂っている。
 心のあの『甘い香り』で、溜まりに溜まった鬱屈が変質し、全身に力が漲っている。
「はは……これは、これはずいぶんと、用意のいいお嬢さん、だ。安心したよ……」
 美しい瞳を怯えた色に染めて、少女が身構えている。
「さあ、行こう。二人で、天国へ……」
 手を差し伸べる。

(わけの分からないことを……)

「黙れ!!」
 掴みかかろうと伸ばされた右手を、迎え撃つように左拳を放つ。
 ぎりぎりで届かない間合い。
 失敗では、ない。
 狙いは、男の右手そのもの。
 指先に挟み込んで隠していたナイフを、真っ直ぐに放る。
 突き刺さったそれを、そのままカウンターの要領で深々と押し込む。
(まだまだ!)
 無力化したその右手を掴み、相手の肘に両膝をがっちりと当てる。
 全体重と遠心力を利用し、変則の飛びつき腕ひしぎ逆十字にもっていく。
 一瞬で極めて破壊し、すぐさま飛び退いた。
 攻めるときは一気に、これが鉄則だ。
(――え?!)
 破壊したはずの右腕が、振るわれた。
 完全に虚を突かれた心は、それをかわしきれずに防御する。
 ハイキックをガードする要領で、両腕を使いしっかりと――だが、
(あれ? ……あれぇ? どうし…)
 ぐにゃりと、景色が歪む。
 足に力が入らない。くたりと膝をついてしまう。
 ガードした衝撃だけで、脳が揺らされた。
 破壊された腕を使ったことで無駄な力が抜け、かえってその分、威力が増した可能性はある。
 しかしだからといって、こんなにまともにダメージを喰らったのは、いつ以来だろうか?
(…うそ……こんな、の…うそ…だ)
 いまの心は、体重も筋量も少なすぎて、衝撃を殺すことすらできないのだ。
 素人が無造作に振るった一撃に、なす術もない。
 意識が暗転する。

 ぺたりと、心は座り込んだ。虚ろな瞳で、ぼんやりと宙空を見ている。
 そんな姿ですら、例えようもなく美しい。
「どうしたの?」
 男は自分の一撃で、心が半ば失神しているとは思いもよらない。
 急に大人しくなってしまった心に驚き、戸惑う。
{ひょっとして……試練は終わりなのか? 私は合格したのか?}
 血塗れの手で、そっと心の頬に触れる。
 心は抵抗しない。もう何もできないのだ。
「……やった。やったぞ!!」
 小躍りしたいほどの喜びを抑えながら、男は右手に刺さったナイフを引き抜く。
 血が噴出す。ハンカチを取り出して縛り、適当に止血する。
「さあ、行こうね? 私と、おじさんと天国に行こう……」
 破壊された右腕を無理矢理に使い、心を抱きかかえる。
「――お?! っと」
 あまりの軽さに、尻餅を搗く。
{これは……やっぱり、天使だ。天使ちゃんだ!}
 心を抱えて立ち上がると、適当な場所を探して歩きだす。

 程無く、袋小路になった物陰を見つけた。
 ちょうど暗がりで、よほど注意深く探さなければ発見されないところだ。
 上着を脱いで、心をその上に寝かせる。

***********************************************

「……ん、あ、あん! あ…あ、んぁ……ん、あ…」
 胸がムズムズする感覚で、心は目覚めた。
 頭が重い、首が痛む。暗くて周りがよく見えない。
「……う? うああ!?」
 何かが覆いかぶさって、胸に取り付いている。
 ちゅぱちゅぱと音を立てて、小さな蕾に吸い付いている。
「やあ、天使ちゃん。お目覚めかなぁ?」
 さっきの男だ。
「なに、なに…するんだよぉ」
 抵抗しようとして、腕の自由が奪われていることに気付く。
 脱がしかけたシャツで、前腕が縛られている。胸が一面、血だらけだ。男の血だろう。
「うぅ? うぁあ、あ、あん。いやぁ……あ、ぁあん。あん!」
「可愛いおっぱいだねえ? とっても柔らかいよ……」
 むにむにと心の胸を揉み、蕾を指先で摘んでくる。
 ふたたび蕾を口に含み、舌先で転がし始める。
「やめ、て……やめろぉ、やめ、ん…んぅ、あ…ああ、あん」
「気持ちいいんだね? 可愛い声だ。それに、とっても可愛らしいお口だねぇ」
 指先で、唇に触れてくる。
 血の味がする。
「おじさんも、気持ち良くなりたいんだ……いっしょに天国に行こう、ね?」
 男は立ち上がり、不自由な手でスラックスを下ろし、同時に下着も下ろした。
 貧相なイチモツが現れる。
 小さい。
 男だった頃の、見慣れている自分のものや、昼間に見た清十郎のものに比べてあまりに小さい。
 心は思わず噴出しそうになってしまった。
 そんな様子を見て、男は誤解する。微笑んでくれたと、そう思ってしまう。
{可愛い……可愛いなぁ}
「おじさんのを、お口で気持ち良くして、くれるかなぁ?」
「いやだ!! 誰が、そんな汚い――う! むう……」
 ぐいぐいと顔に、口元に押し付けてくる。生臭くて青臭い臭気に、吐き気がする。
 口を閉じ、歯を食い縛って耐える心。
「…うーん、困ったねぇ」
 男は心の顎に手を添えると、力を込めて口を無理矢理に開かせようとする。
 簡単に、心の口は開いてしまう。
「――おぶっ! う、うえ…おぶ、おう、うお……ぼお?!」
 深々と、小さな口にイチモツが差し込まれる。
 根本まで一気にすっぽり挿入したそれを、ゆっくりと動かしだす。
 ギリギリいっぱいで、心の小さな口に収まりきるところから、男のイチモツの程が知れる。
 噛み付いてやろうとしても、喉元まで差し込まれたせいでえづいてしまう。
 こみ上げる吐き気に邪魔されて歯を立てることも出来ず、舌を突き出すようにしてしまう。
 それがさらに、男を愉しませる。
 心の荒い息づかいと、りゅぷりゅぷ、ちゅぷちゅぷという湿った音。
「キツイお口だね。小っちゃな舌で……そんな風に、ご奉仕まで、して…くれるんだね」
「おぶう、うう……おえ、えぶぉ…ぼぉお! え゛う、うう゛、うええ゛!!」
 心の頭を抱えて、男はイチモツの出し入れを激しくする。
 男は眼を血走らせて、小さな口の快感に耐える。いますぐに暴発しそうな迸りを、必死で抑える。
「もう、もうだめだ…そんな、そんな…上手に、ご奉仕し…でる! 出てし……出すよ? いいよね?」
「んむ゛ー!! んん゛ん、んぼ、ヴヴぇえ゛え゛……」
(やめろぉ……やめろ、この早漏野郎…)
 生臭い精液が、口中に注ぎ込まれた。そのまま男は、さらにイチモツの出し入れを続ける。
 心は窒息しそうになりながら、吐き出すことさえできずに、精液を飲み込むしかない。
 飲み込みきれない精液が、口中から溢れ出す。じゅぷじゅぷと、湿った音がひびく。
 男が噛み殺す唸り声と、口を塞がれた心の荒い吐息。
 小さな柔らかい舌が、イチモツにまとわり付く。
 口内の柔肉全体が、異物を外へ追い出そうとして、包み込むように締め付ける。
{素晴らしい!! その辺の女なんて、まんこなんて、問題にならん!!}
 男は幸運だった。
 彼のイチモツが粗末で貧相なおかげで、心の小さな口に咥えてもらうことができたのだから。
 それから男は立て続けに二回、心の口内へ精を放った。
 小さくきつい心の口を思うさま犯し、こころゆくまで堪能した。

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