「はい、あーん」
うながされるまま口を開けて、チョコレートを食べさせてもらう。
わざわざ唇に触れるようにして、指を軽く口に入れてくる。心が口を閉じるまで、そのまま指をどかしてくれない。さすがに何度もこれを繰り返されていれば、相手がなにを求めているのかは分かる。指ごと含むように口を閉じて、軽くしゃぶると、やっと引き抜いてくれる。チョコを咀嚼して、こくんと飲み込む。
「おいしい?」
「はい」
心がしゃぶった指をぺろりと舐めて、にこにこ微笑んでいる。
彼女は玲那の秘書で、名前は藤枝 千鶴という。『心』とは顔見知りらしい。
当然だろう、主治医の秘書なのだから。
『診察』が済んだ後、心は玲那の手で綺麗に後始末をしてもらった。
それこそ、舐め回すように丁寧に、だ。
いま心は院長室で、玲那と恋の二人を待っている。愛も一緒だ。
隣の診察室で、二人だけでなにやら心のことについて話をしている。
本人を同席させないのがあからさまに怪しいが、どうしようもない。
「心ちゃんはいつも、いつでも可愛いわねぇ……」
千鶴は心を抱き締めると、何度目か分らない頬擦りをしてくる。
彼女の膝の上に座らされているから、避けようも無い。
愛は我関せずを決め込んで、用意された紅茶を飲み、読書をしている。
心にはオレンジジュースだ。また頻繁にトイレに行かれては面倒だと、紅茶やコーヒーの類は、愛に禁じられてしまった。
テーブルの上には大量のお茶菓子が用意されている。高そうなチョコやクッキー、小さなケーキ、煎餅などもある。それぞれの皿に、綺麗に並べて載せられている。
もともと心は男の時から、甘いものは嫌いではない。目の前に用意されているのは、いずれも好物ばかり。
心と『心』の食べ物の好みがほぼ一致するとして、これらは全て、それを把握して用意されたことになる。
たいへん丁重なもてなしと言えよう。
その好物を、膝の上に抱きかかえられて、さきほどのように食べさせてもらっているわけだ。
心は一度も自分の手を使っていない。
「次は何にしましょうか?」
「あの……」
「藤枝さん、お昼ご飯前だから、あんまりお菓子食べさせ過ぎないで」
ようやく愛が口を出すが、現状には何の変化も無い。
「じゃあ、ジュースにしましょうね――」
コップを持って、心の口にストローが届くようにしてくれる。
それを咥えて二口ほどジュースを啜った。
「可愛いわあ……ほんとに可愛い。ちゅっ」
口でわざわざ言いながら、額にキスをしてくる。これで何度目だろうか……
たとえ今の身体は女の子でも、心は男だ。妙齢の、しかもかなりの美人にキャーキャー騒がれて、手厚いもてなしをされれば悪い気はしない。しかし、それも程度によりけりだろう。
だいいち、これではまるっきり、赤ん坊か幼児の扱いだ。
柔らかい太腿の上に座らせられては、お尻がムズムズして落ち着けない。
そのうえ頭は常に、胸の、おっぱいのクッションに当っている。
確かに座り心地はなかなかだ。じつに『気持ち良い』ものではある。
だが、いまは先程までの、玲那との『情事』の余韻にゆっくりと浸っていたい気分なのだ。
そういえば、あの部屋にいたもう一人、看護婦の国中さんもこの部屋にいる。
彼女は部屋の隅でずっと立ったままで、座ろうともしない。
一応みんなで席は勧めたのだが、断られてしまった。
(避けられてるんだよな、やっぱり……)
それは当たり前だろうと心は思う。なにせ初対面であんな事をしている場面を見られたのだ。
いや、彼女にすれば、無理矢理に見せ付けられた、と言ったほうが正しいのだろう。
一番年下の、見るからに未成熟な妹に、嬉々として性的な悪戯をする姉達と、それを受け入れる妹。
さらに、その一家に付き合う自らの上司。色に狂った集団と判断されても、何の文句も言えない。
一瞬、国中さんと目が合った。すぐに視線を逸らされる。彼女の顔は少し赤く染まっていた。
(嫌われてるなぁ……軽蔑されてる、の方が正しいかな?――アレ?)
こころの中にむらむらと、妙な感情が湧き出すのを感じる。うまく説明できないが、言葉にしてみるとしたら――
(あの人は、ボクのえっちなところを見たから、ボクにえっちした人とおんなじだよ。
お返しだから、ボクもあの人のえっちなところを見ていいんだもん。
ううん、いたずらもさせてくれないとダメ。心はえっちじゃないもん。いやらしい子じゃないもん。
自分の方が本当は、ずっとずっとえっちなくせに、心をいけない子だって思わないで。
そんな風に心を見たらイヤだよ。いたずらしちゃうからね)
何を考えているのだろう。本当に今の自分はどうかしている。
心は自らの正気を疑いたくなってきた。
「ねえ、藤枝さん。あっちで仕事しなくて大丈夫なの?」
愛が思いついたように言う。
「うーん、多分大丈夫なんですけど――」
「多分て……急用とかで連絡きたら、どーすんの?」
「だって、だってここに心ちゃんがいるのに……」
「あの、もし宜しかったら、私があちらで連絡に備えましょうか?」
国中さんが控えめ申し出る。
「本当?! お願いしちゃおうかしらぁ」
「はい、喜んで。それでは、失礼いたします」
ペコリとお辞儀をして、そそくさと来客待合室へと向かって行った。
「これでいいのかなぁ? 仕事しなよ、藤枝さん」
愛は呆れ顔だが、千鶴はにこにこ笑っている。
「だって、心ちゃんと愛さんのおもてなし以上の仕事なんて、ありませんもの。ねー、心ちゃん?」
ぎゅっと抱き締められて、心はじたばたともがく。
「苦しいです……」
「どうせ目当ては心なんでしょうが」
「あら、愛さんも大好きですよ?」
「それはどーも――」
ふと心は千鶴に対して、おもてなしのお礼をしてあげようと思い立った。何故かは分からない。
国中さんと目が合ったとき感じた、むらむらした気持ちが『何か』をさせたがっているのだろうか?
チョコを一個、指先で摘み上げる。
「藤枝さん、あーんして」
「心ちゃん?」
「あら、お返しのつもりなの? 藤枝さん、付き合ってやって」
「えっと、それじゃあ――あーん」
千鶴がさきほどしてくれたように、わざと彼女の唇に触れるように指先を口に入れる。
口が閉じられて指先がしゃぶられた瞬間に、何ともいえないこそばゆい感触が奔った。
(これ、これ気持ち良い……だから、ずっと――)
指先に付いた唾液を、彼女に見せ付けるようにしゃぶって舐め取る。
「おいしいですか?」
「ええ、とーっても……」
千鶴は頬をほんのり朱く染め、さも嬉しそうに答える。
「じゃあ、もう一つ――」
心はクスリと笑って、チョコをもう一つ取ると今度は口に咥えてみせる。
とても小さな一口大のチョコだ、それを食べるには自然とキスをする形になる。
「えっ! ええっ!! し、心ちゃん? あの、あの――あ」
千鶴が戸惑っている間に、愛が二人に割って入り、心の口からチョコを食べてしまった。
そのまま千鶴の目前で、二人のキスが続く。チョコレートの味がする、甘い口付け。
しかし、唇が離れると、心は露骨に不機嫌な表情を見せる。
「なんで愛姉ちゃんが食べちゃうの?! 藤枝さんにお返ししてるのに!」
「――ほらね、遠慮することないよ? この通りだから」
心をまったく相手にせず、愛は千鶴に笑顔で示す。
「つぎはちゃんと藤枝さんに、はい――」
ふたたび心はチョコを咥えた。さっきより大きめのものを、わざわざ口からのぞく部分を少なくして。
「い、いただきます……」
千鶴はゴクリと生唾を飲み込んでから、ゆっくりと唇を寄せた。
すでに心の口中で半ば溶け出していたチョコが、とろりと口に広がってくる。同時に心の舌が、チョコを押し込むように千鶴の舌に絡んでくる。甘い、例えようもないほどに甘く、あたたかい。
小さな心の舌が、押し込んできたチョコを奪い合おうとでもするように、執拗に絡み付いて離れない。
やわらかく、甘く、あたたかな舌が、千鶴の口中のいたるところを蹂躙していく。
溶けたチョコとお互いの唾液が入り混じったものを、むさぼるように飲み下し合う。
チョコレートがすっかり無くなるまで、お互いの口中を行き来させ、転がして唾液に溶かし、啜る。
{おいしい……すごくおいしい。もっと、もっと心ちゃんのチョコが欲しい}
いままで食べたどんなチョコより、このチョコがおいしい。そう千鶴は感じていた。
ずっと無くならなければいいと、彼女は本気で願ったが、やがてほんの一分ほどで無くなってしまった。
とても残念な気持ちで唇を離そうとした、その時――
心の腕が千鶴の首に廻され、頭を抱え込んで離そうとしない。微かな唇の動きで、言葉が伝わる。
「……ダメ」
そのまま数分間にわたって、二人はお互いを貪りあった。
チョコレートはもうすでに無いのに、それがあった時より甘く感じる、とろけるような口付けが続く。
愛はそんな二人を気にするようすもなく、読書に耽っていた。