7

 虚ろな瞳で部屋を出て階段を下りる。足を下の段に下ろす度に、令は股間からジワリとした痛みを感じた。
 一日ぶりに訪れた居間は、当たり前だが何も変わるところはない。
 だが令はこの光景を見るのが随分の久しぶりのような感覚に捕らわれた。
「そういえば、女になって初めて部屋を出たんだった……。」
 奇妙な感慨は令の心ではなく、その肉体が感じているのだろうか?
 漠然とそんな事を考えながら、令はいつもと変わらぬ食事の準備を始める。
 とはいえ大抵自炊は面倒なので夜以外はあまりしない。普段はレトルトか買い置きで済ませる簡単な食事だ。
 しかも精神的にも食欲が沸かない今の状況もあり、結局令はトースト2枚を準備するだけで事を済ませた。
 テーブルにつき、手製のトーストをかじりながら令は今後の事を考える。
「やっぱり学校には行かないと……でもこの体はなぁ……。」
 取りあえず考える事はやはり自分が女になった事に対する他人の影響である。
 当たり前だが公然と女になったなどと言えるわけもないし、誰かに相談できる類のものでもない。
 当面は誤魔化し通すしかないわけだが、はたしてそれがいつまで成功するのかわからない。
 とりあえず両親が当分帰ってこない今の状況は幸いだったが、それだっていつかは終わる。
 僅かな希望はセネアが男に戻してくれる可能性がなくもないという事だったが、それもいつになるのか見当も付かない。それにセネアがそれを出来る力があるからといっても、男に戻してくれるとは限らない。
 取りあえず今の令にできる事は、契約の成立まで時を待つ事だけだ。
 そしてそれまでは、とりあえず騙し騙し学校に行くしかないという事になる。
 トーストの最後の一切れを飲み込むと、令は覚悟を決めて椅子から立ち上がった。

 ……が、いきなり大問題に令は突き当たった。当たり前だが男と女は体が違う。
「どうしようこの胸……」
 とりあえず昨日の行為で汗ばんだ体を洗うためシャワーを浴びようと、脱衣所に入って鏡を見た時に令は自身の双球が服を着たぐらいでは誤魔化しようもないぐらい大きく自己主張している事に気が付いた。
 ましてやこのままだと、歩くだけでさらにその存在をアピールするのは必然だ。
「となるとやっぱりサラシ……なんて無いよな、普通の家には。」
 まず思い付くのは女性が男装する時の定番だったが、生憎令の家にはそれに必要なものが無かった。
「でもとりあえず胸は押さえておかなきゃならないし、女の人って……」
 当然だが女性は胸にも下着を着ける。もちろん令もそれを知らないはずはない。
 無論それを着けて事が解決するはずもないのだが、この時令は何故かそれを試してみようという気になった。
 脱衣所を出て階段を上り、自身の部屋の廊下を挟んで向かい側の扉を開ける。
 そこは一年半前に隣りの県の医大に入学し、家を出ていった姉の部屋だった。
 令の姉「三木原 静奈(しずな)」は弟の自分が言うのも恥かしいが、どこに出しても恥ずかしくないぐらいの美人だった。
 少々キツイ性格だが顔もスタイルも良く、同じ学校にいた時には女だてらに生徒会長もやっていたほどだ。
 当時を思い返せば、眼鏡をかけた知的な感じの風貌がえらくはまっていたという印象がある。
 ところが面白かったのは、そんな姉には浮いた話がまったくと言って良いぐらい存在しなかった事だ。
 当然ながら声を掛ける男も多かったのだが、基本的に姉はそういう話にまったく取り合わなかった。
 今考えれば姉はある種、過度の潔癖症だったのではと令は思う。
 現在はすでに一人で生活をしている姉だったが稀に帰宅する事もあり、そのため部屋は出た当時のままである。
 昔は姉弟仲良くこの部屋で遊んだりもしたが、令が中学に入るころにはもうこの部屋に入る事はなかった。
 そんな令が久しぶりの姉の部屋にノスタルジーを感じたのは、それだけでが原因ではないだろう。
 あまりそういう事に拘りがないのか、姉の部屋はあの当時とまったく変わっていなかったのだ。
 本棚の上のコンポやベットの布団ガラなど些細な部分で変わりはあれど、ものの配置はまったく同じだった。
 そしてそれは令の記憶がそのまま引用できるという事を意味する。
 令は迷う事なく机の横にあるタンスの前に立ち、その引出しを引き開けた。
「うわ……。」
 想像していたとは言え、予想通りのものがズラリと並ぶ光景に令は思わず息を呑んだ。
 几帳面な姉らしくきちんと整頓された下着、下着、下着……。
 が、何故だろう? という疑問が令の脳裏を掠める。明らかにサイズの違うものが並んでいるからだ。
 姉のサイズがどれかに合うとしても、明らかに同一人物のためのものではないサイズがある。
 とはいえ今の令には皮肉な事にそれがかえって都合が良かった。自分に合うサイズを選べるからだ。
 とりあえず目見当でサイズを計り、令は三番目ぐらいのブラを震える手でゆっくりと持ち上げる。
 令は心臓がどくどくと高鳴るのを感じながら、それをそっと胸の前に重ねた。
 −着けたら……どんな感じなんだろう?−
 漠然とした心に期待と恐怖の相反する感情。その時令はふとタンスの上の鏡に映る自分に気がついた。
「あ……う、うわあああああぁぁ!!」
 それを見た途端令はえもいわれぬ恐怖に駆られ、ブラを投げ捨て部屋から踊り出る。
 それはまるで自分が心まで女になってしまうのではという恐れ。
 自分の心が一つずつ女の心に染まり、侵食される恐怖だった。
 ”今の貴方の姿はどう見ても女の子にしか見えないわよ?”
 無意識にセネアの言葉が頭に浮かぶ。令はそれを振り払うように首を振った。
 −負けちゃ駄目だ……僕は、僕は男に戻るんだ!−
 必死に自分自身を叱咤し、荒い息をゆっくりと収めようとする。
 そのまま廊下で立ち尽くしていた令だったが、時間の経過とともにようやく気持ちも落ち着いてきた。
「と、とりあえずシャワーだけでも浴びないと……。」
 まだ僅かに動悸が残る心臓を気にしながら、令は再び脱衣所に戻る。
 先ほどの恐怖が抜け切らないせいか、令は鏡を一切見る事無く服を作業的に脱いだ。
 とは言えあまり意味のない行為だった。その視界には当然ながら自分の肢体が入るからだ。
 それを振り払うように洗濯物の籠に衣服を乱暴に投げ捨てるように放り込み、令は風呂場に入った。
 無言で椅子に座って蛇口を捻る。シャワーからお湯が出始めると、なるべく何も考えないようにして体にお湯を当てようとした。しかしそれは無理な事だ。
 足に湯を当てようとすれば、やはり自然と視線を自分の足に走らせる。
 そこにあるのは明らかに男のものではない足。毛一つない、すらりと伸びた綺麗な肌の足。
 手に湯を移せば、やはりそこには指先まで細くなった綺麗な女の手がある。
 そしてその先……いつまでも手足だけを洗うわけにはいかない。ゆっくりと湯を体に向ける。
「ふぁ……あ、あぁ……」
 湯が胸に当たる感覚に思わず声が出る。男ではありえない、湯が胸を揺らす感覚……。
 自然と手が胸に伸びた。湯に合わせるように胸の上を滑らす。
「ん……む、ふぅ……」
 言い訳の出来ない女としての感覚。それを汗を流しているだけだと心に言い聞かせ、男としての感情を強引に納得させる。そして湯をゆっくりと胸から腹、そしてその下に移してゆく。
 僅かな躊躇のあと、令は思い切って秘部に湯を当てた。
「く……! はぁ……あ……」
 男根や袋に湯を当てているのとはまるで違う感覚。なまじ女としての経験が無いがゆえに、令の心はその感覚をただ湯が当たっているだけと片付ける事が出来ない。
 −ちょ、ちょっと……汗を流しているだけなのに……−
 じりじりと体を巡る痺れる感覚に、令はなんとか声を押さえていた。
 そして手早く流してしまおうと手を秘部に当てようとして……偶然指がクリトリスの頭を擦った。
「はひゃううッ!!」
 電気が走り、おもわず大声を上げシャワーを落す。
 慌てて口を押さえるが、その自分の行動に令は思わず失笑した。
「……って、誰かに聞かれるわけじゃないしな。」
 何か馬鹿らしくなった令は洗うのを再開しようとシャワーを拾おうとした……が、脱衣所の外からの奇妙な物音に気が付いた。考える間もなく脱衣所に誰かが入ってくるドアの音がする。
「誰か……いるの?」
「……!!」
 −姉さん!? なんで今日に限ってこんな朝から……−
 聞き間違えるはずもない。脱衣所に入ってきたであろう人物の声は間違いなく姉のものだ。
 めったに帰らないはずの姉がよりにもよって最悪のタイミングで帰ってきた。
 慌てて何とかしようとするも、風呂場には体を隠すものも場所もあるはずがない。
 そんなパニックになっている令を無視し、風呂の扉が容赦なく開かれた。
「「あ……」」
 見事に二人の声がハモる。そして時が止まったように硬直した。

「……ね、姉さん!見ないで!!」
 思わず見詰め合ったのもつかの間、令は姉にその体を見られた事に気が付き慌ててその場に膝を付き手で大切な所を隠す。しかしそれで完全に隠し通せるほど今の令が持っているものは貧相ではないし、すでに隠しても無駄な時間は経っていただろう。
「姉さんって……令? もしかしてあなた、令なの?」
「あ……そ、その……」
 しどろもどろな口調で慌てる令をよそに静奈はしばしその目で令を観察した後、いきなり浴場に入ってきた。肩を掴み令の顔を上に向かせる。
「この顔、やっぱり令なの?……じゃあ、これはどういう事?」
「ね、姉さん……その……あの……」
 静奈は真っ直ぐに令を見据え、当然の疑問をストレートに聞いてくる。予想外の事態でも決して冷静さを失わないのは静奈の昔からの美点だった。とはいえ令への質問は簡潔に答えられるような代物ではない。
 言葉あぐねている令をしばし見ていた静奈だったが、しばらくして諦め肩から手を離した。
「わかったわ。待ってるから、とっとと済ませてしまいなさい。」
 静奈は令にそう言い聞かせると普段通りの足取りで風呂場から出ていった。浴場には令が一人取り残される。
「バレ……ちゃった。あぁ……どうしよう……」
 思わず令は頭を抱えるが、それでどうなるものでもない。しばし悩んだ後、とりあえず言われた通りにシャワーを済ませてしまう事にした。蛇口をひねり、雑念を消して汗を流す事に集中する。
「令、着替えは置いておくから。」
「え!? あ……うん…。」
 途中一度だけ姉から声がかかったが、曖昧な返事を返す事しかできなかった。
 まるで死刑を待つ囚人の気持ちで令はシャワーの音を聞いていた。
 −姉さん……なんか怒ってるような感じだけど……それとも内心では混乱してるのかな?−
 漠然とした不安と混乱、しかしいつまでもそうしている訳にもいかず令は蛇口を捻ってお湯を止めた。
 浴場を出て脱衣所で体を拭く。できるだけ女の感覚を引き出さないように静かに体を拭いた。
 そして一通り拭き終わった後、籠に入れてある着替えを手に取り……令は絶句した。
「ね、姉さん!! ななな……なんだよコレは!」
 静奈がわざわざ令の着替えを準備するなどという事事態に本来なら疑問を持つべきだったのだ。
 一番上のシャツはともかく、その下には何故かスパッツ、そして明らかに女性用の下着……。
「それを着たら私の部屋に来なさい。わかったわね。」
「な……!」
 令の叫びに静奈は冷徹に答える。その声にふざけやからかいの色は感じられない。
「言っておくけど、下着を着けないでなんて事は許さないわ。早くなさい。」
 また明らかに命令するような声。そんな姉の態度に令は言葉を失う。
 −怒ってる……風でもないけど、でもいったい……?−
 静奈の態度は令にとっても不可解なものだった。過去にああいう姉を見た事がなかったからだ。
 しかもそんな姉の”命令”とも取れる言葉は……令はもう一度籠の中を見る。
 高そうな白いブラとショーツ、誰がどう見ようと女性の下着だ。
 −姉さん、どうして……?−
 それはともかく、令には姉の心意がどうしても理解できない。
 令が女になったという非現実的事件はともかく、何故その令にそれを強要するのか?
 考えても答えは出てこなかった。姉の言った通り下着を着けないという選択肢もあったが、言われたばかりの事を無視できるほど令は静奈に強く出る事ができない性格だった。
 令はとりあえずショーツを手に取る。そちらの方がまだパンツとして自分を納得させれると思ったからだ。
 男の下着と違い明らかに手触りの違うそれに少々驚きながらも、ゆっくりと体を屈める。
「同じ下着だよ……同じ下着……」
 自分に言い聞かせるように呟きながら、令はゆっくりと両足を通してショーツを引き上げる。
 手が股を越え腰の横まで来た後、一息呼吸置いて令はゆっくりと手を離した。
「うわぁ……な、なんかこれ、すごくぴったり…着いてる……」
 ブリーフのようなものを想像していた令は、そのあまりの感覚の差に驚く。
 滑らかな絹の布地が体のラインに合わせてぴったりとフィットしたそれは、曖昧な男性下着には決して存在しえない感覚だった。
「次は……やっぱりコレか……」
 令はおそるおそる、その”次”を手に取った。それとはもちろんブラである。
 令はシャワー前の事を思い出したが、すでにショーツを身に着けてしまったためか、あの時のような恐怖心は感じなくなっていた。同じようにゆっくりと手を通し、胸に合わせる。
 ショーツと同じように、胸に吸い付くような感覚があった。僅かに手が汗ばむ。
 そしてゆっくりと背中に手を回して両側のホックを指で掴み、一瞬の躊躇の後はめ込む。
「あ……」
 ぱちり、という音とともに胸に収まるブラ。だが令にはその音とブラの胸を絞める感覚が、まるで女としての体にロックがかかってしまった合図のように感じられた。
 そして漠然とした不安で鏡を見ると、そこには下着姿で不安げにこちらを見る少女……。
 令はそれを振り切るように顔を振り、まるでその姿を隠さんとばかりに急いでシャツとスパッツを着る。
 それが終わるとそのまま鏡を見る事なく脱衣所から飛び出した。
 居間に出るとすでに姉の姿は見当たらない。令は無言で二階への階段を上った。
 静奈の部屋の前に来て扉をノックする。入りなさいという言葉が中から聞え、令は扉を開いた。
「きちんと着てきた……みたいね。やっぱり良い子だわ、令。」
「あ、あの……姉さん……」
 静奈は勉強机の椅子に座り、入ってきた令を満足げに見ていた。
 先ほどのような刺のあるような口調はどこにも感じられないし、怒っているような節もない。
 とはいえ令はそれがかえって不安だった。姉の思考がまるでわからないからだ。
「とりあえず令、何があったか話しなさい。嘘は駄目だからね。」
 静奈の目が眼鏡越しに令を正面から見据える。拒否を許さない無言の圧迫感があった。
 令は覚悟を決め、信じてもらえるかどうかわからない真実を話す事にした……。

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