パサ――と、ごく小さな音を立てて、咥えていたガウンの裾が落ちた。
「…や、いや、いや……やぁ」
ゆっくりと頭を左右にふって、心はイヤイヤをする。
「いやぁ! いやいや、いやぁ……みないで、みないでよぉ……みないで」
両手で裾を引っ張って、『恥ずかしい部分』を覆い隠すように身体を丸め縮こまる。
ほんの一瞬前まで、あんなにも強く、こころの中で龍鬼を呼びつづけていたというのに。
まるで龍鬼は、その呼び声に応えたかのように、ここに戻ってきてくれたというのに。
そういう状況であるにもかかわらず、心は彼を避けようとしている。
いざ彼を目の前にした途端、心は、分からなくなってしまったのだ。
もう少し細かく言えば、自分が龍鬼にどうして欲しいのか――何をしてもらいたいのか、本当は良く分かっていないことに、いまさらながら『気がついた』のだ。
「……ん。大丈夫、大丈夫だから。ね?」
かまわずに近寄って、龍鬼はその場に跪くと、心の頭を撫でてやる。
「僕のせい――だよね? ごめん、ごめんね。ごめんなさい……」
龍鬼の言葉で、心は思い出す。そうだ。彼のせいで、自分は『おかしく』なってしまったのだ、と。
しかし何故、心が言葉にする前に、龍鬼が『それ』を知っているのだろう?
考えてみればとても不思議なことなのだが、心にはそれを疑問に感じる余裕すら無い。
「たつき……たつきが、わるいんですよ? さっき、いたずらしたから……」
心の意識は、龍鬼を責めることに振り向けられている。
「ごめんね、本当にごめん」
『なでなで』してやりながら、龍鬼は謝り続ける。
心の言うことが理屈として正しかろうが間違っていようが、どちらであろうと龍鬼は構わない。
構わないというよりも、龍鬼にとっては、心の言うことはすべからく『正しい』のだ。
心が良ければ、心が満足してくれれば、心が喜んでくれれば、心が気持ち良ければ、彼はそれでいい。
龍鬼にとって大切なのは心だけ。重要なことは、心の気持ちだけなのだ。
そして今、その心がいったのだ――「龍鬼が悪い」と。
だから、自分が悪い。たとえ傷付けるつもりが無くとも――彼にとっては当然のことなのだが、龍鬼はいつでも常に、絶対に心を傷付けまいと考えて、細心の注意を払って行動している。
しかし、そういうつもりであったにもかかわらず、結果として心を傷つけてしまったのなら、「全て自分が悪い」と龍鬼は考える。
彼にとっては己の気持ち――どういうつもりで行動したか、それすら『どうでもいい』ことだ。
それに今回は、確かに龍鬼が原因なのだから、心の言い分も、龍鬼が謝ることも間違いではない。
「ごめんね、ごめんなさい。ごめんね、ごめん、本当に――」
心に詫びながら、龍鬼は、どうすれば許してもらえるのか考えている。
何となくならば、心がどうして欲しいと思っているのかを感じてはいるのだが――とはいえ、許可もなしに勝手な真似をして、さらに不機嫌にさせてしまっては元も子も無い。
やはりここは、本人に直接たずねてみるのが一番のはず。
「ごめんね。僕のせいで、つらい目に逢わせちゃったね。どうすればいい? どうしたら、許してもらえるのかな? 教えて欲しいな」
背中をさすってやりながら、心の瞳をまっすぐ見つめる。
「たつきが、いじわるしたから……ボク、おかしくなっちゃう……病気に、なっちゃいます……」
心は涙ぐんで、駄々っ子のように「龍鬼のせいだ」とくり返す。
「ごめんね――だから、許して欲しいから――どうしたらいい? どうしたら許してくれる?」
「……なおして。なおしてください。さっきみたいに…なおして」
「なおす……? 治すの?」
コクンと頷く心。その濡れた瞳が、龍鬼を見つめている。
「なおして」
「どこかな? どこを、どうやって、どんな風にして、治してあげたらいいのかな?」
「……ここ、この……お股の、ところ」
とても、とても恥ずかしそうに、心は自分の下腹部のあたりに触れた。
うつむいたその顔は、真っ赤になっている。
「うん。そこを、どうしたらいいのかな? さっきみたいに――」
龍鬼は、心の唇を舌先で舐める。蕾がほころぶように、かすかに心の唇がゆるむ。
その、ほころびかけた蕾へ舌を挿しこみながら、ゆっくりと唇を重ねていく。
挿しこんだ舌で、心の舌を誘うように、そっと触れる。
心は瞳を閉じ、龍鬼の舌に触れようと舌を伸ばしかけた。
「…ん、んむぅ」
龍鬼は心の舌を絡め取り、包み込むようにして愛撫をはじめる。
舌を絡め合ったまま、心の口内を点検するかのように、龍鬼は舌を蠢かす。
薄く、小さく、柔らかな舌をもみくちゃにして、じっくりと弄ぶ。
心が感じるのは、先ほどまでと同じ『美味しさ』――甘く優しい味、龍鬼の味だ。
龍鬼の味に混じって、さわやかな香りと、微かな苦味がする。歯磨きか、口中洗浄剤だろう。
してみると、龍鬼はきちんと真面目に歯磨きを済ませてきたらしい。感心なことだ。
「――こうして――こうやって、さっきみたいにしてあげたら、いいかな?」
解放されて惚けていた心が、龍鬼の言葉に反応する。
「…いや…」
「うん?」
「……だめ、だめです。お口はだめ。お口は、イヤ」
龍鬼のシャツの肩のあたりをきゅっと掴んで、心は、自分から唇を重ねた。
せっかく綺麗にさせたのに、もう一度『汚い』ところを舐めたりしたら、また汚れてしまう。
だから、龍鬼が口で『あそこ』に触れないように、心は先回りして彼の口を塞いだ。
いまの心にとっては、もう、龍鬼の口付けは『美味しい』もの以外の何ものでもなく、それゆえ、彼の唇がふたたび『汚い』ところに触れるのを我慢できない――「もったいない」のだ。
「――じゃあ、どうしよう? どうしようか?」
唇をいったん放し、軽く触れるだけのキスを繰り返しながら、龍鬼は笑いかけてくる。
「知らない…。知りません」
心は、ぷいっと顔をそらす。その首筋に、龍鬼の唇が――舌が触れてくる。
「あ、あ……あん! いや、あ、ふぁ」
つい、声が出てしまう。
我慢しようとしても、吐息とも悲鳴ともつかないものが勝手に漏れてくる。
「口じゃ――舐めたら駄目なんだね? それなら、手で、触ってもいいかな?」
「……ん、んふ、ん、あ」
「いいかな? ねえ? 心、いいかな? いいかな?」
心の唇や首筋に口付けをくりかえし、舌を這わせて『意地悪』しながら、龍鬼はしつこく訊いてくる。
いかに彼が、傷を治せる不思議な能力を持っているとしても、触れなくてはどうにもできない。
そして、心に嫌われないためには、身体に触れる『許可』を得る必要があるのだ。
「いいよね? 触らないと、治してあげられないから、だから、いいよね?」
「やめて、だめです……だめぇ!」
龍鬼は『意地悪』を止めた。
「いいよね?」
「……ちゃんと、なおしてくれますか? いじわる、しませんか?」
「うん」
屈託のない笑顔で、龍鬼は即答する。
「ちゃんと治すよ。意地悪なんてしない――悪戯しない」
「……」
心は、『おかしく』なってしまった身体を、早く治して欲しいと思っている。
治してもらうには、龍鬼が言うとおり、触る必要があるのだろう。
だが、龍鬼に任せて本当に大丈夫なのか、不安だ。
現に彼はいまだって、『意地悪』をしてきたではないか。
けれど心は、ほとんど悩むことなく――
「お願い、します」
自分一人では、解決する自身が無い――うまく治すことは難しいだろう。
それに、もしも龍鬼が『意地悪』してきたら、「キライ」だと言ってやればいい。
心はおおよそこんな風に考えて、身体に触れる『許可』をだしてしまった。
「いいんだね? それじゃ、早く治してあげようね」