心の瞳に、ふたたび涙が滲む。だが、泣いてしまうのは癪なので懸命に堪えている。
龍鬼は、唇をほとんど触れあわせたまま微かにずらし、「綺麗にしないと――ね」
唇の動きで、心にはこのように伝わってきた。
サイドにある操作パネルの上で、龍鬼の片手が素早く動く。
「んんっ!」
最弱に調整された温水が一定のリズムを刻みながら、心の大切な部分に優しくぶつかってくる。
(…ちがっ…あ…ちがうぅ…)
おしっこの穴とは違うところに、生温かい水がしっとりとしみ込んでくる。
「んぅ……ん、んん、んうぅ!」
龍鬼は明らかにワザと、洗うべきところとは違う部分に温水を当てている。
柔らかな水の舌が、膣口を舐め上げて胎内にまで染み入ってきたかと思うと、今度は尿道口へと移動して、そちらの穴もそうっと突いてくる。
少しづつ水流を操作して、『お花』のさまざまな部分をじっくりと時間をかけて嬲っていく。
たっぷりと1分近くの間、心の敏感な部分は温水にさらされ、弄ばれ続けた。
「ちゃんと綺麗になったかな?」
龍鬼はようやくウォシュレットを止め、唇を離した。跪くと、目線がちょうど心の胸のあたりにくる。
「確かめさせてもらうけど――いいよね?」
「え? やっ……いやです! もう、もうきれいになりました」
心は両膝をぴたりと閉じあわせ、さらに股間を手で覆い隠す。
「んー、でも――でもやっぱり、ちゃんと見て確かめないと。女の子は――心はとくにデリケートなんだから、身体を清潔にしておかなくちゃ。病気にでもなってしまったら、大変だからね。それに、お姉さん方から心をお預かりして、任させて頂いてるのは僕なんだ。万が一のことでもあったら、申しわけが無いよ――ね? お願い」
心の膝上に手をつき、上目遣いに見つめながら龍鬼は言う。顔立ちの整った彼がこんな態度をとると、まるで女性のよう――心の好む『お姉さん』のような感じさえ受けてしまう。心にはこころなしか、龍鬼の瞳が、微妙にではあるが潤んでいるようにも見えた。
「えと、あの…」
なにか、自分の方が我がままを言っているようなばつの悪さを感じて、心は対応に窮している。
その隙をついて、龍鬼の手が太ももの間に滑りこんできた。心は別に痩せ過ぎているわけでもないのに、膝を重ねて組みでもしないと、どんなにしっかり肢を閉じても隙間ができてしまう。
龍鬼はそこに手を差し入れて、太ももを開かせようとする。
「ごめんね。何もしないから、少しだけ我慢しておくれ」
「やだぁ! いや、いやだよぉ! 見ないで…見ないでよぉ」
懸命に力を入れて抵抗するが、軽々と苦も無く、股を開かされてしまった。
「そうだ。まずは、おしっこから確かめないと――」
龍鬼はトイレの中を覗きこんで、「うん。異常は無さそうだね――心、昨日のことだけど……お腹とか、強く叩かれたりしなかったかな?」
龍鬼はいかにも訊きづらそうな、「嫌な事を思い出させたくない。だが、聞いておかなくては……」といった面持ちだ。
もしも昨日の中年男に襲われた時に、お腹に強い衝撃などを受けていた場合、今の『心』のヤワな身体では、内臓に重大なダメージを負ってしまう危険がある。龍鬼が危惧しているのはその点なのだ。
真剣に、全くやましい感情など無しに、龍鬼は心のことを気にかけている様子だ。
それがはっきりと伝わってきて、心は恥ずかしいながらも、抵抗するのは我慢したほうが良いのではないかと、そう思い始める。
「う、うんと……えと、ええと」
おどおどしながらも、昨日のことを思い出そうとする。
しかし、いまいち良く思い出せない。龍鬼との間にあったことなら、大部分を覚えているのだが……。
龍鬼の顔が目の前にあるせいで、尚更に、彼との『情事』ばかりが頭に浮かんできてしまい、心は恥ずかしさで叫び出したくなってしまう。
「あの、あの…あ…だいじょうぶ、だと…思います。お腹、たたかれたり…してません」
顔を真っ赤にして、指先で唇をせわしなくいじりながら、おぼろげに思い出したことを告げる。
「そう――良かった…良かった」
心のお腹に手を当てて、龍鬼は安堵の溜息をつく。
「いや、実はね。昨日のうちに、田崎先生にも言われていたんだ。できたら確認しておくように――って。
いま見た感じだと、おしっこにも異常はないみたいだし、本当に良かった…」
龍鬼の表情がくしゃっと歪んで、目元から涙がこぼれ落ちた。
「…あれ? ははっ…何で僕、泣いてるんだろう。ははは…可笑しいよね。男のくせに泣いてしまうなんて、心はこんな奴……情けない奴は嫌いだよね。ごめん、すぐ止めるから……」
照れ隠しのつもりなのか、龍鬼は涙をこぼしつつも笑顔をつくる。
或いはもしかすると、本当に、本気で、泣いていたら心に嫌われると考えているのかもしれない。
(どうして? どうして?)
何故この人はこんなにも、泣いてしまうほど自分を――女の子の『心』のことを心配してくれるのだろう?
彼は強い人だと――同時に、冷たい人だと――心はそう思っていた。昨日の中年男を始末したときも、そして、つい先ほど吉野を見下ろしていたときも、龍鬼は恐ろしいほどに冷たい眼をしていたから。
あのときの龍鬼からは、感情というものがまるで読み取れなかった。
しかも決して、無理をしてそういう風に振舞っている感じはしていなかった。
ただ単純に、最初から、何ものにも左右されない不動の、凍りついたこころを持っている人間なのだと――
たぶん彼は生まれつきに、本質的にそういう人間なのだろうと、心は解釈していた。
それなのに、それなのに――だ。
どうして彼が、『その』龍鬼が、自分――家柄が少々良い程度の、ただの女の子である『心』――のことを、ここまで気にかけるのだろう? どうして、『心』のために泣いてしまうのだろう?
確かに自分は、大昔から《カミサン》を祀ってきた黒姫家の、それも『御子』という役目にある人間だ。
いわば、ワケの分からない宗教じみたものの『教祖』とでも言うべき存在。
そのおかげで、『信者』にあたる旧家の人々からは、本人が望もうが望むまいがそのどちらにもかかわらず、いろいろと特別扱いをされてきた。
龍鬼は心のみたところ、ほぼ間違いなく、旧家の人間だ。
よって、心を特別扱いしてくるのは、ある意味で当然といえるのだろう。
だがいくらなんでも、こんな風に泣いてしまうほど、心配してくれる必要はないはず――と、心は思う。
今だって一応のところ、心の無事は確認できているのだ。身体にも目立った異常はみられないし、精神的にも、別に問題はない――心本人がそう判断しているだけで、実際はかなり幼く『戻って』いるのだから、それを感じ取れる人間が判断すれば充分に異常なのだが、それは別の問題だ。
とにかく、龍鬼がこんなにも自分のことを心配してくれる理由が、心は気になってしょうがない。
(どうして、泣いてるの?)
いままでとは違ったかたちで、心は龍鬼のことが気になり始める。
それはいわば、龍鬼から受ける刺激で、何かを『思い出す』のではないかという、自分のことが原因となる『注意』ではなく、龍鬼本人、つまり彼そのものに対する『興味』だと言えるだろう。
(……たつき)
こうしてあらためて龍鬼を見ていると、やはりなんと言うか『綺麗』な顔をしている。
自分がもしも「綺麗な顔をしている」などと言われたら、以前なら『男として』腹を立てたかもしれないが、でも今は確かに「ああ、そうかぁ。他に言い方…言葉がないんだ……」などと納得できてしまう。
それに何度も感じてきたことだが、龍鬼は誰かに似ている。しかし誰なのかは、いまいち思い出せない。
(かわいそう……)
龍鬼の涙を見ているうちに、心はなんだか気の毒になってきた。
男の子は、『よほどのこと』がないと泣かないものだ――と、心は考えている。その『よほどのこと』が、龍鬼のばあいは『心』のこと――つまりは、今の自分のこと――なのだ。
泣いているところを見られるのは、恥ずかしいだろうな――という考えもあって、心は、自分が龍鬼を泣かせてしまったような気がしてきた。
「いい子、いい子」
そっと手をのばして、龍鬼の頭を撫でる。いままで、何度も龍鬼がそうしてくれたように――。
「……心」
龍鬼は心地良さそうに目を閉じた。
両側から挟みこむようにして彼の頬に手をそえると、心は涙を舐めとっていく。
涙をきれいに舐めとってしまうと、小さな胸にきゅっと押しつけるように龍鬼の頭を抱きしめ、髪を撫でてやる。
「いい子、いい子。泣かない、泣かない」
「……」
龍鬼はされるがままに、大人しく心に撫でられている。
(たつき、なんか……猫みたい…信綱みたい……なんか、かわいい)
胸に感じる龍鬼の重みと体温が、心に、いつも自分に甘えてくる愛しい家族を思い出させた。
「よしよし、いい子、いい子……」
犬や猫などの、動物を愛しいと思う気持ち――そして、小さな子供を愛しいと思う気持ち。
それらはとても近いところにあって、けれど厳密には、まるで違うものなのかもしれない。
人が己の子を――或いはまた他人の子をも――愛しいと感じ、守りたいと思うこころ。
それを男が持てば父性、女が持てば母性と呼ばれるのかもしれない。
では、犬や猫を愛しいと思う気持ちは?
母性とも、父性とも呼ばれることはないだろうし、わざわざ区別しようとすることもないのだろう。
それならば、いま、心が龍鬼にたいして感じている気持ちは?
これは父性なのだろうか? それとも母性なのだろうか?
心には、自分が龍鬼に感じた『愛しさ』がどういうものなのかを判断する必要も、つもりもない。
ただ少なくとも、腕の中に抱いた少年を、『かわいい』と感じていることは間違いない。
「……ありがとう…心」
小さな身体にすがるように、龍鬼の腕が心の腰に廻された。
二人は、まるで母と子のよう。
その身は、いまだ幼さを色濃く残す少女にすぎないというのに、倍近くも大きな身体の少年を抱く姿は、確かに『母』を感じさせた。