撫でるような優しい口付けの後、セネアはゆっくりと唇を離した。
初めて令を抱いた時にしたような荒々しさはないが、かえって体を熱くさせるような、そんなキス。
自身の頬が赤く染まるのを感じながら、令は目の前で微笑むセネアを見つめ返す。
「セネアさんの事、ちょっと誤解してたかな」
「……?」
令の言葉にセネアは疑問符を浮かべるが、令は構わず話を続けた。
「セネアさんって、初めて会った時の印象の事もあるんだけど……えっと、その……もっと恐くて、正直言って冷酷な人なのかなって……思ってた」
何か令の言葉が予想以上に意外だったのか、セネアは驚いたような目で令を見る。
そんなセネアの態度が可笑しくて、令は思わず軽く微笑む。
「でもさ、セネアさん優しいよ……今のセネアさん、なんかすごく暖かいもの」
思わぬ令の言葉に、セネアは狐につままれたかのようにぽかんとしてしまう。
ようやく意味を悟ったか、しばらくしてセネアの頬がかすかに赤く染まった……かと思うと、彼女はそのまま悪戯っぽい笑みを令に向けた。
「あら、その最初の印象も間違ってなくてよ。それどころかそちらの方が正しいと言えるわ」
「そう……かな? 僕は……」
「貴方だからよ。今でも私は人間ごときに譲歩も妥協もしない。目的のために手段を選ぶ気はないし、自身の行動に自分以外の意思を介入させる気なぞさらさらなくってよ」
まるでからかうような口調でセネアは令に語りかける。
とはいえその言葉は多分セネアの本心だろう。ある意味その余裕が言葉を肯定していた。
しかし、彼女はその顔を突然真剣なものに変えると、頬を染めたまま令を見つめる。
「だけど……貴方がその全ての序列を破壊したの。私のありとあらゆる価値観の最上段を、貴方を愛し、貴方に愛されたいっていう気持ちが占拠してしまったわ。だから如何に私の価値にそぐわなくとも、今の私に貴方に否定されるような選択肢は取れない」
そのままセネアは顔を下ろし、軽いキスをすると静かに微笑む。
「令……貴方のせいよ。貴方が私を壊したのよ」
その赤い瞳に真っ直ぐ見据えられ、令は少々居心地が悪そうに顔を赤くして目を逸らす。
セネアが令に投げかける言葉があまりに恥かしく、そして愛しいから。
正直そんなテレビドラマでしか聞けないようなセリフが自分に向けられているという事実が、当事者を目の前にしても少し信じられなかった。
「……それじゃあ令、今からは私の時間にさせてもらうわ」
そんな令に、セネアが意味ありげな言葉をつぶやく。意味を求めて令は視線を戻すが、セネアは先程と同じように令を見下ろしていただけ……ではなかった。
笑顔だが、先程とはあきらかに意味の違う笑顔。
まるで悪戯を考えついた子供のような笑い、そしてその瞳は令が初めてを奪われた時のあの輝き、あれと同じ色を宿していた。
「……せ、セネアさん!?」
「さっき言ったでしょう? 私は冷酷な女だって……その意味を教えてあげる」
令は淫靡な笑みを浮かべるセネアの顔に思わず息を呑む。
この顔、この瞳をしているセネアが求めている事など一つしかない。
「私はね、これから私を愛してくれる人を……令を嫌という程泣かせてしまうの。いくら令がやめてって言っても、二人が真に達するまで悦楽の宴から逃がしてあげない」
「セネアさ……あふッ!」
セネアがすっと令の胸に手を添えた。服越しの感覚なのに、令は思わず声を出してしまう。
それだけの事なのに令の息は早くも荒くなってくる。そんな令の顔をセネアが満足そうに覗き込む。
「今度ただ抱くだけじゃない……本当の絶頂、本当の女の喜びを教えてあげる。だから今夜は……覚悟してね」
静かに、だけど拒否を許さない問答無用な強さを含んだ口調でセネアは令を抱く宣言をする。
当然今の令だって、それを拒否する気持ちはまったくない。
いや、まったくと言えばそうではないかもしれなかった。
もしかしたら男としての令は”抱かれる”事を今でも否定しているのかもしれない。
だが愛する人と一つになりたいという性を越えた気持ちが、すでに心を全て覆いつくしていた。
令はゆっくりとセネアに頷く。それは抱かれる事を自ら望んだという合図。
そしてセネアは令のパジャマの隙間にゆっくりと手を差し込んだ。
「ああぁ……セネア……さ……はああぁっ!」
胸のところのボタンが外れ、令の双球が露わになる。セネアはそれをゆっくりと優しく揉んでゆく。
掌で全体を撫でまわすようにしながら、人差し指でその頂を刺激する。
その度に令は体をぴくんと跳ねさせ、口から甘い声を引出させられた。
「はふうぅ……すごく熱くて、なんか……体が……ひゃあッ! だ、ダメ!セネアさん、ムネだめえぇぇ!!」
ただ胸を少し嬲られただけで自身の体が信じられないほど熱くなっていくのに、令の中で微かな恐怖とも期待ともつかない感情が広がってゆく。
セネアに抱かれたあの夜以降も何度となく責められた自身の胸、しかし今回のこれは明らかに違う。
今はまだセネアはその技巧をほとんど出してはおらず、実際にはただ撫でられているのに近い状態だ。
それなのに体が燃えるように熱くなる……疼きがすごい勢いで体を駆け巡る。
そしてそれはセネアが舌を胸の責めに加えた途端、一気に加速した。
−な……ぼ、僕の体……変だ。熱い……熱いのが止まらないいぃぃぃ!!!−
指と舌による巧みな責めは、令の中に生まれた熱を一気に発火させる。
いくら声を上げ体をくねらせようとも、快楽は増すばかりでとどまるところを知らない。
「どうして……こんな……ふああぁッ!! 今までと……違う、なんでこんなに……ああぁん!!」
もうすでに言葉が言葉にならない。まだ胸しか責められていないのに、本能の命ずる喘ぎが理性の言葉を封じ込めている。
前戯の始めの段階でありながら、令の体はまるで挿入されたような快楽を覚えていた。
そのうえ体は、さらに燃え上がるのを止めようとしない。
−いままでと全然違う……胸を触られてるだけなのに熱いのが止まらない!!
どうして胸だけでこんな……熱くて、気持ちよくて……だ、ダメ! このままじゃ……!−
「せ、セネアさんもうダメぇ! お願い、これ以上は……ひゃふっ! あ、あああぁ――ッ!! ダメ……ダメえぇぇぇ!!」
「あら、どうしてダメなの? 令ったらすごく気持ちよさそうじゃないの」
くすくすと笑いながらも、セネアは決してその手を休めない。舌を離して口を開いても、指が巧みに責めを継続し続ける。令の体は一瞬たりともその責めから開放されなかった。
「あふああぁ……このままじゃ僕……はああぁん! やめ、お願いやめ……ひあああぁぁん!」
「ふふっ……令ったら、胸だけでイっちゃうのがそんなに恥かしいの? それとも自分が感じすぎるイヤらしい体だって認めるのが嫌なのかしら? でもね……」
セネアがまたあの悪戯じみた笑みを浮かべる。とはいえ今の令にはそれを認識できるだけの余裕はない。
なぜなら会話に意識を向けようとも、セネアの責めはほんの少しも勢いを失なわないからだ。
「さっき言ったでしょう? ダメって言っても許してあげないわ。いいのよ感じるままに素直になって……令、遠慮しないでイってしまいなさい!」
セネアが再び舌を使って乳首の蹂躙を始めると、令はひときわ大きな声を上げて喘ぎ、体に電気を流されたかのように腰をびくん、びくんと跳ねさせる。
そして頭の中にあの白い光が浮かんだ時、令はもう絶頂から逃れられない事を悟った。
−む、胸だけで僕は……そ、そんな! く、くる! きちゃううぅぅ!!−
心で少しでもそれを遅らせようとしても、全ては無駄な抵抗だった。
頭に浮かんだ光は一気にその中を満たして、令の肉体は意思に関係なく頂に導かれる。
「だめ、だめ……ひゃあっ、あああああぁぁ―――ッ!!!」
一際大きく体を震わせ、令は絶頂の叫びを上げた。その全身を駆け巡る快楽に全てが押し流されていく。
ひとときの後、絶頂の悦びが引いて体を脱力させた令の髪をセネアは優しく撫でた。
「かわいい……やっぱり令のイった顔ってこの上ないぐらい愛しいわ。何度でも、何度でも悦ばせてあげたくなる……」
絶頂の余韻が覚めやらぬ荒い息をはいて、令はセネアを見上げる。
令は胸だけで、しかも一気に高まっていく自分の体の感覚を、それが終わった後でも信じられなかった。
「前と……全然違うよ。胸だけなのに、どうしてこんなに……僕の体はどうかしてしまったの? セネアさんは僕に何かしたの?」
令の問いにセネアは一瞬何かを考えたような素振りを見せたが、すぐに納得したような顔を浮かべ口を開く。
「しなかったと言えば嘘になるわ。なにしろ貴方は一度私に抱かれたのだから」
セネアの言葉の意味がいまいち理解できず、令は怪訝な顔をする。だがセネアはかまわず話を続けた。
「あの時は意識こそしなかったでしょうけど、私は貴方を持てる技術を総動員して徹底的に悦ばせたわ。つまり貴方の体はあの時、私に抱かれるという悦楽を無意識のうちに体に刻み込まれたの。身体は一度覚えた蜜の味を決して忘れはしないわ。それ以上の悦びを得られない限り……ね」
その言葉の意味する事を考え、令は沈黙する。
要は令の体が”セネアに抱かれる快楽”を覚えてしまっているという事。
つまり今回はセネアが何かをしたのではなく、令の方が再びセネアに抱かれたという事実に歓喜し、自ら快楽を増幅させて、高まっていたという事なのだろう。肉体の記憶に理性や意識は関係ない。
結果的に令はあのたった一回の交わりで、セネアに”調教されてしまった”と言ってもよい。
それに今回は……なにより令自身も抱かれたいと思っていたのは確かなのだ。
「つまり僕が望んだ……僕が求めた快楽なんだ……」
「そうね。だからこんなに……と、言いたいところだけど……!」
漠然と自身の体の変化を考えていた令に、セネアの言葉の語尾が少しつり上がる。
見るとセネアは、ジト目で令を見下ろしていた。
「随分と開発されたみたいだこと。貴方を抱いたのは私とあの男達だけじゃなかったのね」
「……な!!」
突然の指摘に令は慌てるが、その態度と真っ赤になった顔では肯定してしまったも同然だった。
セネアが突然そんな顔をしたのも、その事に気が付いたからなのだ。
「至上の悦楽は他が劣っていると認識できるからこそより価値の増すもの。それにそれを受けとめるだけの包容力が必要だわ。たった2回の経験でそのどちらも手に入れるのは不可能よ。いくら初めてで達してしまうぐらい非常識にいやらしい体を持った令でもね」
反論や言い訳など思いもつかなかった。それに何を言おうとも事実を変える事はできないのだ。
とはいえ本来ならセネアにそれを責められるような筋の話ではないのだが、怒っているというより拗ねたような顔で令を見下ろすセネアの顔を見てしまうと、言い訳しようという気すら萎えてしまう。
「……ごめん」
令は気持ちを素直に言葉にすると、セネアは一瞬何かを言いかけたまま言葉に詰り、拗ねた顔のまま横を向いてしまう。令があまりにあっさりと折れてしまったので、そのわだかまりをぶつけるわけにもいかなくなってしまったのだ。
「……まあいいわ。貴方が他人に抱かれたというのは私にも非があるんだし。だけど!」
突然セネアはがばっと令の上に覆い被さるようにのし掛かり、眼前で令を見据えた。
「覚悟なさい……今度は私を決して忘れられないように、徹底的に悦ばせてあげる。
他の交わりの事など忘れてしまうぐらい、貴方の身体の奥底まで私の悦楽を刻み込んであげる!」
その勢いある言葉に、令の体にぞくりとした感覚が駆け巡る。
これは恐怖と不安という感覚……そう思った心は、ただの逃避にすぎない。
令の体、そして心も認めていないだけで理解しているのだ。この感覚の正体を。
そう……令の心と体は今、ほんの少しの恐怖と不安を内包して、どうしようもないぐらいの”期待”で溢れていた。