間違いない−令はある種の確信を持って封に指をかけ中の手紙を取り出そうとして……動きを止めた。
何故それを忘れていたのか? そう、令はその時になってようやく重大な事に気が付いた。
自分は今”麗”なのである。つまりこれは女性宛てに向けられたものである事は間違いない。
つまり相手は……
そこまで考えて思わず令は手紙を投げ捨てようとしたが、寸でのところで思いとどまった。
何かそうしてはいけない気がしたからだ。せめて中身を読んでからという引っ掛かりがある。
それが罪悪感か、それとも興味本意からかはわからない。
しかし令は再び封筒を手元に戻すと、中の手紙を取りだしてそれを開いた。
小さく丁寧な文字で書かれた文面が目に入る。内容はもちろん予想通りラブレターだ。
頭からゆっくりと文字を追っていく。幾度も文章を考え直したのか、少々言葉がでこぼこしてる不器用な文。しかしそれは真面目で真剣な思いが見て取れるような、そんな好感のもてるものだった。自分が”麗”の一つ後輩であるという事、昼に中庭で瑞稀達と食事をしているところを見ての実質一目惚れだったという事、今日の放課後に校舎体育館の裏で学校が閉まるまで待っているというもの。そして最後には名前が書いてあった。
2−D 比良坂 和真 ……予想通り男だった。
が、どこかでその名前に聞き覚えのあるような気もするが、どうも思い出せない。
令は軽く溜息をついて空を見上げる。日はかすかに夕暮れに近づいていた。
「さて、どうしようか……」
当然の事だが、令は今の自分が仮の存在であり自分は男だと思っている。
そうである以上、男からの告白など嬉しくもなければ受け入れる気もあるわけがない。
受け入れる気があるはずがないのだが……
何故だろうか? 不思議な事に令はその考えの一方で、この比良坂和真という人間に会ってみたいと思っている感情がある事に気がついた。それがどうしてなのかはわからず、令はとりあえず自分の気持ちを頭の中で整理してみる事にする。
−もちろん会いに行くのと受け入れるのはまた別だ。
ただ、これだけ真剣な思いをただ無視するというのは失礼だという気がするけど−
「せめて直接会って、しっかり断らなくちゃって事かな……」
とりあえず自分の頭が出した結論に納得すると、令は手紙を鞄に入れ、そのまま校門とは逆の方向−校舎の一番奥の体育館の方角−に歩き出した。
「あ……せ、先輩!」
体育館裏の用具倉庫の入り口の前にいた彼”比良坂和真”は、令に気がつくとぱっと顔を明るくする。
令はその顔を見てようやく和真の事を思い出した。
過去に何度か学校の催しの手伝いをした時に、何故か令とよく組まされて一緒に仕事をした後輩だった。
和真は眼鏡をかけたそれなりに美形の男で、生徒会長やってますなんて言われたら誰でも納得するような、そんなタイプだ。逆に令は背が低くて童顔だったので、もし令は和真と一緒に並んで歩いたら、知らない人間ならどちらが先輩後輩なのかを多分取り違えるだろう。
故に令は初めある種のコンプレックスがあったのだが、和真自身が非常に人当りの良い性格をしていた事もありそんな考えはすぐに消えてしまっていた。
しかしそんな彼が女である自分に告白とは−令は何か複雑な心境だった。
「えっと……あなたが比良坂君?」
「は、はい! そうです。2−Dの比良坂和真と言います!」
一応初対面のフリをしながら声をかけると、和真は顔を真っ赤にして答えた。
緊張がこっちにまで伝わってきそうなぐらい表に出ている。正直令にはそれが妙に可笑しかった。
だからだろうか、令は逆にリラックスして和真を見る事ができた。
とりあえずは”麗”を演じて、最後には先程考えた通りの言い訳で断れば良い。
とはいえ、もうガチガチになっている和真を待っていては話が進みそうにないので、令の側から言葉を切り出す事にする。
「手紙、読んだわ。ところで比良坂君は、私の事をどこまで知ってるの?」
「先輩の……事ですか? えっと……」
真っ赤な顔でしどろもどろになりながら、和真は必死に思考している。
緊張はしているが恐ろしく真剣なのが令にもわかった。それも何故か微笑ましい。
「先輩が交流学生として三木原”令”先輩の代わりとして北海道から来ている事、そしてその三木原”令”先輩の従姉妹だという事……ぐらいです」
「そっか、そこまで知ってるんだ。」
正直、少ないながらもよく調べたものだと令は思った。昼休みからなら午後の授業2時間分ぐらいしか情報収集の余裕がない。表向きの”麗”の事情としてはほぼパーフェクトだろう。
が、それゆえに話が早い。説明の必要が無いからだ。
「それで……その、先輩……俺は、その……」
和真はなんとか言葉を続けようと努力するも、なかなか思うようにいかなかった。
まあその先に言う言葉はすでに手紙で知っているので、実際には聞くまでもないのだが……
とりあえず令は面倒になる前に目の前に指を突き出して、言葉を遮った。
「知っての通り私は交流学生なの。だからここにいるのは短期間だけ。
残念だけど遠距離恋愛する気はないわ。ごめんね」
あらかじめ決めておいた言い訳をそのまま口にする。いささか性急な気もするが、長引かせる意味もない。しかし令がその言葉を言った途端、和真はもうこれ以上ないぐらい残念そうに肩を落した。
あまりの落胆ぶりに、正直令にもかなりの罪悪感があった。なにかいけない事をした気分だ。
が、和真はあまり時間をあけずに顔をあげた。
「そ、そうですよね。すいません先輩、俺、先輩の事情も考えずに……」
顔は笑っていた。しかし、その顔は必死に強がって作った笑顔だ。
「でも、俺自身が嫌われたわけじゃないからいいです。とりあえず、話聞いてもらえただででもすごく嬉しかったですし……」
口では強がってはいるが、当然ながらショックだったのだろう。
が、そんな心を見せまいと和真は必死に笑顔で令をまっすぐ見つめていた。
そのせいだろうか、令は自身の動悸がかすかに早まるのを感じた。
真剣な和真の視線から目が反らせない。心にちくちくと針が刺さるような感覚があった。
−僕は……何をしているんだ?−
令は和真の真剣な思いをただ投げ捨てる事だけを考えてここに来た。
しかし今の令にはそれがあまりに酷い行為に思えた。あきらかに心を冒涜する行為だからだ。
自分がそんな真剣な思いを、適当な考えだけで断られたらどんなに悲しいか。
しかし和真はそんな令に何の不平や文句もなく、その上でまだ誠意を通そうとしている。
なにか令は自分があまりに卑しい存在に思えてきた。
「じゃあ、失礼します先輩。来てくれてありがとうございました。」
和真はその痛々しい笑顔で会釈した後、ゆっくりと令の横を通りすぎて行くその時……何故か令は無意識に和真の腕を掴んだ。
「……せ、先輩?」
驚く和真の方に令はゆっくりと向き直る。
何故か令の頭の中は真っ白だった。ただ、動悸が妙に高い事だけが意識できた。
「遠距離恋愛、する気はないけど……」
言葉が自然に口から出る。それが意識的な行為なのか、本能的行動なのかは令自身にもわからない。
「今だけなら……いいよ」
令はそのまま和真の手を引いて体育館の裏口から入れる用具倉庫に入った。
ただですら放課後は人のいない体育館裏の、さらに建物の中なので誰かに見られる心配がないからだ。
体育用マットや跳び箱などが整然と並べられている部屋の真ん中で立ち止まると、令は和真の方を振り返った。
「せ、先輩……その、あの……」
和真はすごい顔で緊張していた。令には何故かその顔がすごく可愛く、愛しく思えた。
−相手が男なのに?−
一瞬そんな考えが頭に浮かぶが、何故かすぐに霧散する。
今はただ、和真の思いを少しでいいから満足させてあげたい。そんな気分だった。
「緊張しちゃって。そんなにかたくならなくてもいいわよ?」
もう完全に”麗”になりきって和真を軽くからかう。そのまま人差し指を和真の唇にあてた。
「ひょっとして、ここもまだ未経験かな?」
そのまま指を自分の唇にあて、かるく舐める。見せつけるような間接キス。
半分兆発のつもりだったのだが、何故か令の方の気分まで高まってくる。
そのまま半歩、令は和真の方に足を進めた。
「じゃ、始める?」
緊張で固まる和真を見上げ、令はとりあえずどうしようかと考えるが……突然和真の両手が令を抱きしめた。
「きゃ! ちょ、ちょっ……むうぅッ!」
そしてそのまま強引に唇を塞がれる。思わず令は手で和真を振り払おうとしたが、体格も違う男の和真を振り払えるはずもない。
そんな強引な和真の行動に、何故か頭に先ほどの和真の真剣な眼差しがクロスして浮かぶ。
どう言う訳か、そのイメージが頭に広がるにつれ令は体に力が入らなくなっていた。
不思議な事に男にキスされているという嫌悪感も、そのイメージが打ち消してしまうような感じだ。
男とか女ではなく、真剣な思いを受けとめている……そんな感覚だった。
ぼんやりと令は体が熱くなっていくのを感じる。これは女の心が高まっている証拠だ。
そのまま身を委ねてもよかったが……令はちょっと反抗したい気分だった。
必要以上に豊富な性的経験をここ数日で得ているためか、面白い事に令は最後の一線において冷静でいられた。
それに比べ和真はおそらくキスすら経験のない童貞である。
経験の多い自分がそのまま成すがままにされるのはいささか不本意……そんな感情すらあった。
ヘタクソなキス……反抗は簡単だ。相手に経験させる立場に回ればよいだけの事。
令は強く唇を合わせるだけの和真のキスに、そのまま舌を入れた。
「……!?」
突然のことに和真は驚く。しかし令はそんな和真の反応を楽しむように舌を舌にからませた。
令はからませるように舌を動かす。和真はそんな令に不器用なりに必死についてくる。
その反応がまた可愛くて、令はまた濃厚なキスを続ける。
随分と長い時間のキスを経て、二人はようやく互いの唇を離した。
和真はどこか夢見ごこちに令を見ている。今の出来事がまだ信じられないといった様子だ。
そんな和真を思わずからかいたくなって、令はすねたような顔で和真を見上げた。
「もう……初めてなら、もうちょっとロマンチックに優しくキスしてくれてもいいんじゃない?」
「あ、あの……す、すいません! お、俺その……思わず夢中で……」
「ふふふ……冗談だってば。でもここから先は、優しくしてね」
慌てた和真が令の言葉にぱっと顔を明るくする。その一喜一憂が令は可愛くてしょうがなかった。
−しかし……もう完全にセリフが女の子だよな……−
その一方で、頭の中で漠然と男の心が今の令自身の言葉に呆れる。そして相手が男なのにと嘆く。
だが今日の令はそれ以上に女である自分を楽しんでいた。相手が和真のような人間なら、一時的に女を演じるのも悪くない……男の心にそんな言い訳をしてみた。
だが、多分今の令にはその心が納得しようがしまいが関係なかった。
何故か行為に嫌悪感や恐怖を感じない。今の状況を否定する要素がないのだ。
−じゃあ……心も女に?−
と、その言葉が頭に浮かんだ時、令は思わず顔を振ってそれを振り払った。
それは最後の一線、それだけは妥協してはならない部分。今の自分は仮の自分であって、今こうしているのは真剣な思いへのせめてもの贖罪なのだ。
令は必死に自身に言い聞かせる。しかし……何故否定するの? と頭に別な考えが過ぎる。
なぜかはわからない。しかし令の心には今奇妙な分裂があったように思えた。
「あの、先輩?」
唐突に聞えた和真の声。それで令はようやく我に返った。和真が不思議そうにこちらを見ていた。
「あ、あぁ……ごめん。ちょっと、激しかったから。」
その一言で和真は真っ赤になって顔を下に向ける。あまりにウブな和真に思わず笑いそうになって、令はさっきの奇妙な感情をとりあえず忘れることができた。
今は、和真にいい思いをさせてあげよう−そう思い直すと令は、後ろに腰の高さあたりまで積み上げてあった体育用マットの上に腰掛けた。
丁度スカートの中が見えるか見えないかの挑発的な高さ。
そして多分、行為をするにも都合のいい場所だ。
「じゃ、続きしようか」
令の言葉に和真は真っ赤な顔で頷く。両肩を掴まれると、令はそのままマットの上に押し倒された。