目が醒めて早一時間、上で三木原 令(れい)はその事態を今だに把握できずにいた。
「どうなってるんだ一体……」
 ベットの上で膝を抱えてうなだれる少女は、溜息をついた。
 何か悩み事でもあるのか?
 彼女を知らぬ者が見たら、おそらくそんな想像を抱いただろう。
 別段それは珍しくもなければ不思議でもない日常の風景。
 だが、当の令にとっては生まれてこの方十数年、こんな朝を迎えた事はなかった。
 そんな事が起こりうると考えた事すらなかった。
 なにしろ令は、確かに昨日の夜ベットに入るまでは男だったはずなのだから。

 令はクラスの男子の中では決して背が高い方ではなかった。
 容姿は悪くなかったが、それは男らしいカッコ良さではなくどちらかと言えば男子にはからかいのネタに、女子からは親近感を抱かれるタイプのものだ。
 端的に言ってしまえば可愛いタイプの男という事になる。
 令自身はそんな自分の容姿にある種のコンプレックスを持っていた。
 だから必死に背を伸ばそうと様々な努力をしていた事もあるし、せめて体格だけでもと運動に精を出していた時期もあった。
 しかしそんな努力も空しく、令の評価はもうすぐ受験というこの時期にいたるまで今だに「可愛い男の子」のままなのである。
 とはいえ気の知れたクラスの友人と付き合っている上では、それをそんなに意識する事はなかった。少なくとも令自身人はそう思っていた。
 だが、それは令の心の深いところにずっと居続けたのも確かだ。
 だからこそ、昨日の夜に令はあんな事を言ってしまったのだ。

「ふぅん……ようやく波長が合う子を見付けたと思ったら……。」
 聞きなれない声に令の意識がゆっくりと覚醒する。
 ベットに潜り込んでまだそんなに時間も立っていないころ、まどろみの中での奇妙な感覚だった。
 ゆっくりと目を開けると、そこは延々と続く深闇の世界。
 令はぼんやりと夢を見ているのだなと思った。
「でも300年ぶりの適合者……運が良いと言うべきかしら。」
 またあの声が聞える。若い女性の声だ。
 令は声のする方角に体を向けようとするが、思うように動かない。随分と緩慢な動作だ。
 夢なのだから仕方がないと納得し、ゆっくりとそちらを向く。

 そこには黒く長い髪を持つ、赤い瞳をした女性が一人。
 歳のころは令より僅かに上ぐらいだろうか?
 黒い髪と対をなすような黒い服が、より彼女の美しさを際立たせているようにも思えた。
 令と目が合うと、彼女はにっこりと笑う。
 吸い込まれて目が離せなくなるような、そんな妖艶な笑みだった。
「……あなた、名前は?」
 彼女が突然令に問いかけた。じっと見つめられ、令はしどろもどろになりながら口を動かす。
「れ……令、三木原・令……。」
「令ね。悪くないわね。」
 うなずき、彼女はゆっくりと令の方に顔を近づける。
 目の前までせまった顔に、令はどんどん鼓動が早くなるのを感じた。
「ねえ令、私と契約してくれないこと?」
「け……契約?」
「そう、契約。もちろん古(いにしえ)の慣し通り、一方通行という事は無いわ。」
 突然の提案。令にはもちろん彼女が何を言っているのかは理解できなかった。
 しかし所詮は夢だという緊張感の無さゆえか、深く考える気も起きない。
 まさか夢の中で新聞の契約でもせまられてるのか? などと呑気な考えすらしながら、令は気ままに状況を楽しむ事にした。
「べつに僕はかまわないけど、いったい何の契約? それに一方通行って?」
「貴方の願いを私が聞くという事。私が一方的に要求を押し付けるのではないという事よ。」
 彼女の言う事は至極単純な事だ。つまり令の言う事を聞くから彼女の言う事を聞けと。
 だがこれはよくファンタジーSFなんかで出てくるお決まりのパターンだ。
 つまり物語の悪人なんかがよく”そういう存在”と契約して、最後は……という。
「それって、そっちの願いは死んでくれとか魂をよこせとか、そういう類?」
 令は思わず意地悪くその辺をつっこんでみた……が、彼女はそんな令に苦笑するだけだった。
「よりにもよって300年振りの適合者に、そんなもったいないマネなんて。
 少なくともその種の提示はしないわ。」
「300年振りっていうのは?」
「それはこちらの都合よ。さあどうするの? 契約する? しない?」
 いつのまにか彼女は令の目と鼻の先にまで来ていた。その瞳が令を鋭く居抜く。
「け、契約したら、こっちの願い事も聞いてくれるの?」
「不可能な範囲じゃなかったらよ。最も世界征服でも人類滅亡でもOKだけど。」
 その二つ以上という願い事なんて何なんだという疑問が浮かぶが、そんな事よりも令は目の前に迫って見つめるその目が落ち付かなかった。
 思わず目を逸らしそうになって、ふと思う。
 ― これは夢なんだよな ―
 となると楽しい展開にもっていった方が面白いのではないか、そう考えると答えは一つだ。
「いいよ。契約してあげる。」
 軽い口調で返答する。令の言葉に彼女は満足げに頷いた。そして半歩ほど後ろに下がってくれたので、令はようやく動悸がおさまりそうだと安堵する。
「じゃあ……令、あなたの願いは?」
 あらためて問われ令は思わず考え込む。面白さならば先ほど彼女が言った事だろう。
 だが先に言われてしまった上に月並みなお願いゆえ、令はそれが気に食わなかった。
 となるともっと自分の得に……と考え、令は一つの事を思い出した。
「僕さ、普段からあんまり男らしくないって言われてるんだ。」
「私から見ても、正直そう思うわ。」
 初対面の相手に令はずけずけと痛い事を言われたと思ったが、所詮夢だと気にせず続ける。
「で、ものは相談。これを何とかしてくれないかな?」
 例え夢の中一晩限りとわかっていても、令にとってはとりあえずやってみたいIFだった。
 世界征服や人類滅亡なんて結果がわかっているから夢でも面白く無い。
 だったら……というわけである。
「……その程度、御安いご用ね。」
「出来るの!?」
 思わず令は声を張り上げてしまったが、彼女は簡単だと笑って流した。
 そしてまた令の目の前に歩いてくる。
「じゃぁ……契約成立。」
 突然彼女は令の顎を指で掴んで唇を重ねた。
 思わぬ事態に令はあわてて……そして意識が少しずつ薄くなってゆく。

 ― そんな……こんな美味しいタイミングで夢から覚めるなんて…… ―

 漠然とそんな事を考えながら、令の意識はゆっくりと現実に引き戻されていった。

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