「……質問、承りましょうか?」
世界を支配していた沈黙を破ったのは、青年の言葉だった。
「あ……え……?」
正貴は驚きのあまり再び思考が止まってしまった。辛うじて青年の声が耳に留まったくらい。
「取り敢えず……今聞きたいことがあればどうぞ」
青年はその顔に少し険しい表情を浮かべながら正貴を見た。その言葉は、今度はしっかりと正貴に届いた。
「あ、あのっ」
思わず少し身を乗り出す。
「ぼ、僕、女になってるんですけど……」
端から聞いたら『お前、何言ってんの?』という返事が返ってきそうな言葉を、青年は真剣な表情は崩さずに頷いて受けた。
「それは、貴女のリアリティ≠フ影響でしょう」
「……え?」
聞きなれない言葉。リアリティ=B青年は確かにそう言った。
「力≠ノ目覚めた人は、必ず何かしらの影響を受けます。貴女の場合は、偶然性転換が起きて――」
「ちょ、ちょっと待ってっ」
訳のわからない説明――少なくとも自分には――を、正貴は遮った。疑問符を頭に幾つも浮んでくる。
「何か?」
涼しい顔の青年。
「何か、じゃなくて……その、説明の意味がわからないんだけど……」
「ええ、わからないでしょうね」
一瞬、何を言っているのかわからなかった。わからないでしょうね? じゃあ、それと知って喋ってたのかこの人は?
「ですから、最初は私に説明させていただきたいのですが、どうでしょう?」
青年はにこっと微笑んだ。見る者の心を落ち着かせる、優しい笑顔。
「……お願いします」
何だか、とても不服だった。自分が知らない情報を垂れ流しにして、うろたえたところを押さえつけられた感じ。
でも、青年の言葉を理解できなかったのも事実だった。ここは大人しく聞くしかなかった。
「まず、自己紹介を。私は東玲(あずま れい)。レイ、と軽く呼んで下さい」
青年、レイは微笑みを崩さずに名乗った。それを聞いて、正貴はレイの性別が気になった。顔も姿も声も名前も中性的で判断し辛い。
レイは続けて言葉を紡いでいく。
「遠巻きになりますが、細かい説明からさせてもらいますよ。見たと思いますが、私は普通の人とは違い、特殊な力≠使えます。雷を自在に使える、という力≠ェ」
正貴は、気絶直前の光景を思い出していた。レイの右腕から放たれた幾つもの光の線……あれが雷だったのか。
「これに目覚める方法は幾つかあります。他者の手を借りるか、死の間際に立たされるとか、その力≠使っている瞬間を見るとか――貴女の場合は、最後のが当てはまりますね。どれにせよ、その衝撃は生身の……いえ、ただの人間に絶えられるものではありません。ですから、貴女のように気絶してしまうんです」
二回頷く正貴。その通りだ。彼はレイともう一人――筋肉質の男との闘いを見ていて、見てしまって、そして気絶した。
「次に力≠フ説明をしましょう。この力≠ニいうのは、基本的に発生においては物理法則を無視しています。例えば」
レイは右手を少し上げて、人差し指を立てた。と、一瞬青白い光が生まれたかと思うと、それは球を形取り、レイの指に留まった。バチバチと音を鳴らし、雷の球があった。
「全く電気が発生し得ない状況でも、こうして電気を生み出すことができます。これは、力≠フ根源がこの世界と密接に関わっているからだ、と言われています。その力≠ノ目覚めた者を、自分達は覚醒者≠ニ呼ぶ事にしているようです」
「根源……?」
その電気を見ても、正貴は大して驚かなかった。何だか現実感は沸かないが、そういうものなんだろうと、取り敢えず理解しようとしている。
レイは文字通りの電球を消して、真っ直ぐ正貴の双眸を見た。
「力≠フ根源は存在の根源……つまり、魂です。私達はリアリティ≠ニ呼んでいます」
魂。非現実的な言葉がレイの口から放たれた。正貴はそれを笑って否定、しなかった。兎に角真剣に聞き入る。
「さて、ここからが本題です。この力≠ノ目覚めると、人の体はそれまでとは違う意味を持ちます。普段ならば人間は体が全てです。ですが、リアリティに目覚めてしまった者の体は、魂を納めている器≠ノなるんです」
「……えっと、言っている意味が……」
「ここはわかり難いでしょうけど、こういうものだと思って下さい。私も完璧に理解していませんし。要するに、その人としての本質が、肉体から心に変わったんです」
必死に理解しようとして……正貴は諦めた。どうにも自分にはわからない話のようだ。
「リアリティは、その力≠発揮する最善の形を肉体に要求します。所詮この体はただの器、魂の意思には逆らえません」
「つまり……それの僕の変化が、女になること……なの?」
「飲み込みが早いですね」
レイが小さく頷く。
「もっとも、貴女のように性別が変わってしまうなんていう例は殆ど聞きませんが。私はこの髪と瞳の色が変わりました。いくら雷が使えるようになるからって、ここまでしなくてもいいでしょうに」
自分の髪を弄りながら、レイはぼやく。どういう返事をすればいいのか、正貴にはわからなかった。
「と、私の説明はここまでです。何か、質問は?」
レイの説明は、何故正貴が女性になってしまったのか、という問いの返答だった。では、正貴の次の質問は決まっている。
「僕は、元に戻れるんですか?」
そう、男の自分は女になるなんていうお話は御免である。一刻も早く元の姿に戻り、普段の生活に戻りたい。
だが、レイは一言、
「わかりません」
「……え」
「少なくとも、変わった体を元に戻した、という話は聞きません。皆どこかで、元に戻る事を諦めているのではないでしょうか?」
「そんな……」
レイの言葉は正貴にとって絶望的とでも言えた。つまり、これから自分は女として生きていかなければならないということか。それじゃあ、今までの自分はなんだったんだ……。
ひたすら落ち込んでいく正貴を見ながら、レイは溜息を吐いた。そして、
「ただ、方法がないとは言ってません」
「えっ!?」
沈んでいた顔を跳ね上げて正貴はレイを見た。レイの顔は、あまり自信のありそうなものではない。
「力≠ノ目覚めた者の中の頂点に位置されている人……私達は『御主』と呼んでいますが、あのお方に聞いてみれば、わかるかもしれません」
「おんしゅ……?」
呼び方からして偉そうなその人なら、自分を元に戻す方法を知っているかもしれない、と目の前の青年は言っているのだ。
「じゃあ、その人の所に行って……」
「ところが」
レイは、またも正貴の希望を砕く。
「普段『御主』は何処におられるのか全くわからず、会える事は不可能といってもいいでしょう」
「……そんな……」
再び正貴がへこたれそうになるのを確認して、レイはすぐに引き上げる。
「唯一、年に一度行われる覚醒者≠フ闘いの祭……通称トーナメントに優勝した者のみが、謁見を許されています」
一体、どこまでお約束は続くんだろうか。正貴は心の中で呟いた。
「じゃあ、それに出て優勝したら、その御主って人に会えるんだね?」
「それは間違いないです」
レイが頷くのを見て、正貴は暗い表情を落とした。一体そのトーナメントとやらに参加するのは何人くらいなんだろうか。どれ程の実力が必要なのか。そもそも、自分の能力は何なのか。それに加えて、会えたとしても元に戻れるかはわからない。
(何ていう……確率の低さ)
頭を抱えたくなった。何だって自分がこんなことになっているんだ。つい昨日まで、自分は普通に暮らしていたというのに――!
「……受け入れ難いでしょうが、これが運命というものです」
正貴の表情を見て、その内面を汲み取ったのかレイがそう言った。その運命に抗うことはできない――暗にそうも言っていた。
「……そう言えば」
取り敢えず、この不安を消し去ってしまいたかった正貴は顔を上げた。
「僕、もう力に目覚めているんですか?だとしたら、僕の力≠チて……」
「それは私にもまだ――」
バァン!
そこで、唐突に轟音が部屋に響いた。乱暴に扉を開く音。
「ようレイ!ガキぁ目ぇ覚めたかー……って」
そこに現れたのは、レイと公園で闘っていた筋肉質な男だった。短く乱雑に切られた黒髪。ゴツイ顔だが、どこか憎めない。それと比例するように、瞳は酷く綺麗だった。右は黒、左は緑。
「で、あれの変化は見てのと通り左目の色です」
その姿を見て、正貴が頷く。
「おん?何の話だ、レイ?」
一人不思議そうにしている筋肉質に「いえ、なんでも」と言うレイ。
「紹介しましょう。私の下僕の板垣羅門(いたがき らもん)。ラモンと呼んでやって下さい」
「おい、ちょっと待て! いつ誰が貴様の下僕になった!」
「五月蝿い。いつも私に勝てない雑魚の分際で口答えするんじゃない」
「あ、あんだとぉ!? てめえ、いっぺんシメんぞコラァ!」
「やれるものなら、ね」
そんな二人のやりとりを、正貴はぼうっと見るしかなかった。だが、このままいられても困る。
「あ、あのっ」
「何か?」「何だ!?」
随分と態度が違うなあ……と思いつつ、正貴は先にした質問を繰り返す。
「それで、僕の力≠チて」
「あ、そうでした……実は、自分の力≠知るには、これも第三者の協力が必要なんです」
「どんな、ですか?」
その問いに、ラモンが割って入る。
「自分のリアリティ≠ノアクセスさせるのさ。お前の意識を魂の深層に導いてやることだな」
「……リアリティ≠ノアクセス? 魂の深層?」
レイが顔を顰めてラモンを一瞥すると、こちらは優しい表情で正貴に向き直る。
「簡単に言えば催眠術です。自分の力≠ヘ自分で見つけてこなくてはいけません」
「どうする? 何なら俺らがやってやってもいいぜ?」
正貴は視線を下にして暫し黙り込んだ。自分のその力≠知ってどうする? もう元には戻れないかもしれないんだぞ? そんな状態で、こんなことに意味があるのか?
僕が欲しいのは、力じゃないのに。
……でも。
そうだからって、可能性を自分から潰すのか? もしかしたら強い力≠手に入れて、トーナメントに優勝できるかもしれない。喧嘩は嫌いだけど、とやかく言っている余裕は、僕にはない。
「……お願いします」
正貴は決意を込めてそう言った。一刻も早く元の姿に戻りたい、その意思に変わりは無いのだから。
「わかりました。しかし、今夜はもう遅いですね」
言われて、正貴は時間を確認した。壁に掛けられている時計の短針が九を、長針が四を指している。
「うわ、もうこんな時間!? 早く帰らないと、お父さんに怒られる!」
怒られると言って、正貴はそこで始めて気付いた。自分は今は女。つまり、正貴の両親の息子≠ヘいないのだ。
「……鏡、貸してもらえますか?」
正貴の要望に、ラモンが答えた。少し大きめの鏡を差し出すと、正貴はそれを受けとり覗き込んだ。
栗色の、肩で切り揃えられた髪。目はくりっと丸く、可愛らしい。全体に、女の子の可愛らしさを醸し出している。
って言うか……。
(あんまり、変わってないなぁ……)
喜ぶべきか、悲しむべきか。正貴は元々可愛い男の子であった。確かに女になったために変化はあるが、大まかな雰囲気は変わっていない。
寧ろ問題は、何だか肩に負担を掛ける胸だった。下を見れば胸、という表現は曖昧ではあるが、体と反比例しているかのように、胸は大きく自己主張していた。明らかにシャツを盛り上げている。そう言えば、関係ないがブレザーを着ていない。
「その様子だと、あまり変化はないようですね」
苦笑交じりに、レイ。不精ながら正貴は頷く。
「では、今日は止めておきましょう。また明日、伺うとしましょう。ラモン、彼女を送ってやれ」
その言葉に、ラモンは露骨に嫌な顔をした。外に出るのが面倒くさい、とでも言うのだろうか。今さっきまで外にいたというのに。
「何で俺が行くんだよ。お前が行けば」
「五月蝿い」
口答えは許さない――と、レイが眼光で訴えた。う、と呻きながら少し後ずさるラモン。
「わ……わかったよ。行きゃあいいんだろうが?」
「それでいい」
どうにもこの二人の関係が理解できない……正貴はそう思った。
ラモンに送ってもらい、家に着いた。入った途端走って部屋に飛び込み、飯も食わず風呂にも入らずすぐにベッドに飛び込んだ。
複雑な感情――主に戻れない絶望とこれからへの恐怖――を、早く忘れたかった。眠くない体に鞭を打って、正貴は眠りについた。
「……で、どうするんだ? あのガキ」
「まだ決めてない。本人の意思を尊重するしかないだろう」
「しかし、女性化か……まるでアイツみたいだな」
「……ああ、そうだな」