翌日から、カイトの扱いに小さな変化があった。
見方によれば、それは大きな変化だったかもしれない。
まず地べたに置かれたマットレスの代わりに、簡易寝台ながらベッドが廃教室内に運び込まれた。
下着や衣服、ベッドのシーツは毎日、替えが与えられた。
日課となっていたフェラチオによる奉仕だけは続行されたが、セックスは中止された。
全体的に、カイトの肉体的な健康面を気づかった変化である。食事の質や量も向上して、定期的に食料が与えられた。
旧校舎を訪れる少年たちもきつく言い含められているのか、体に負担の掛かる形でカイトをいたぶることはしなくなった。
それらの変化にカイトはホッとすると同時に、不気味なものを感じていた。
ムラタは時折、信じられないほど冷徹な目でカイトを見る。機械を組み上げるのに必要なネジの一本を見るように冷たい目つき。
そのムラタがカイトのことを「セックス人形に堕とす」と口にしていた以上、それをあきらめたのだとは到底思えなかった。
しかしともかくも表面上、何事もなく時間が過ぎていった。
生理が始まってから四日目のことだった。
朝起きてナプキンを取り替えようとしたとき、カイトは出血の量がごく少なくなってることを知った。
ピーク時はナプキンでも数時間毎にまめに取り替えないと気持ちが悪かったのだが、いまの出血量ならタンポンを入れれば丸一日は持ちそうだった。
生理痛や体のだるさも、とれつつある。
明らかに、生理期間が終わりに近づいてるのだろう。
ムラタもまた同じ見解だった。
「どうやら、明日には常態に戻りそうですね。君の体は健康な28日周期の生理サイクルを見せていますよ」
膣検診を終えたムラタがいった。
「こんな女の体なんていらない……生理なんてこないように、いつかブッ壊してやる」
「そんな勝手は許しませんよ。君は明日にでも、研究所へ運ばれるんです。晴れて第二ステージへと進むためにね」
「研究所って……そこで何をするつもりだ」
「ふむ。まずは徹底的に君の肉体と精神をいじらせてもらいますよ。楽器の調律をするように精密にね」
「嘘だろう……これ以上、まだ何かするつもりかよ……」
「明日になれば分かることです」
まだ何も終わらない。悪夢の時間は続く……
不意にカイトは金色の絨毯の中に立っていた。風にそよぐ見渡す限りの小麦畑。
透き通った空を見たこともない軍用ジェット機が飛んでいく。空気が揺れて、かぶっていた帽子が飛ばされていった。
幻の情景の中でカイトは叫んでいた。
次の瞬間、あたりは元通りの廃教室に戻っていた。
驚いたことにカイトはムラタの胸に顔を埋めていた。むしろ、ムラタがカイトをかき抱く格好だ。
カイトは全身にうっすらと汗をかいていた。鮮明な幻視のせいか、体に疲労感が残っていた。
「あ……オレはいま……?」
「幻でも見たんですか。どんな内容でした?」
なんでもない、とカイトは答えた。どんな形であれ、ムラタに協力するのはまっぴらだった。
ムラタが立ち去ると、カイトは束の間の安息に体を弛緩させた。
さきほどの幻。目にした光景自体はどうでも良かった。
問題なのは、幻の中で立っていたカイトが女だったということだ。
自分の姿は見てないが、身体感覚や服の感触からいって明らかにカイトは幻の中で自分を女としてイメージしていた。
「こんなんじゃ駄目だ!」
カイトは懸命に女を犯してる自分をイメージして自己イメージの修復をはかった。
ヌードの女を想像して、そのイメージで興奮できることを再確認する。それの繰り返し。
女の体を持ついまのカイトにとっては、虚しい作業だった。どんなに興奮しても固くなったペニスを握ることすらできないのだから。
イメージトレーニングにも疲れてきて、カイトはベッドにごろりと転がった。
生理が軽くなってるので、あまり下半身を気にせず寝返りをうてる。
カイトの言葉を何度も思い返した。
どうやら生理期間が終わり次第、ムラタの研究所へと移される手はずになってるらしい。
もし研究所に監禁されたら今以上に脱出が難しくなるだろうことは容易に想像できた。
「なんとかしないと……」
なんとかしないと、ムラタによってセックス人形に作り替えられてしまう。
この先毎日のように男に犯されながら生きるなんてまっぴらだった。
いままでそれを許してきたのも、隙を見て逆襲に出る心積もりがあればこそだ。
改めてカイトは首輪や鎖が緩んだりしてないか調べてみたが、徒労に終わった。
もどかしく時間ばかりが過ぎていく。
その晩も葵がやってきたが、カイトが研究所のことを尋ねても口をつぐむばかりだった。
生理用品の扱いなどの質問には答えてくれるのに、肝心な話題になると俯いて言葉少なくなってしまう。
葵が立ち去った後、カイトはナプキンを新しいものに替えた。もう出血はとまっていて、これが最後の交換になりそうだった。
生理が終わったのは嬉しいが、それはつまり明日体を調べられればいよいよ研究所送りになってしまうということだ。
途方に暮れてカイトはベッドの上で膝を抱えた。
そのとき、深夜の廊下で人影が動いた。
一本だけ灯った蛍光灯に背後から照らし出された人物は、葵ではなかった。
「カイト」
と呼びかけてきたその人影は、浩司だった。
「こんな時間に何の用だよ」
「逃がしてやりにきたんだ」
浩司がベッドに近づいてくると、カイトは反対側の端へ後ずさりした。
ここに囚われてからというもの、男が近づいてくるのは決まってカイトの体をいじるためか、さもなければペニスを突き出して奉仕を強要するためだった。
「怯えるなよ。そうやってると、処女っぽいぞ。ヤリまくりなくせに」
「好きでヤラレたんじゃねぇ!」
「ま、いいや。とにかく、時間を無駄にすんなよ。今度はほんとに逃がしてやるから」
カイトは、浩司の顔に向かってツバを吐きかけたが、かわされてしまった。
「今度はマジだって」
「信じられるか! お前がオレを助けようとするわけないだろ」
「あんたはオレの女なんだ」
「……はぁ?」
カイトはポカンとした顔で聞き返してしまった。すると浩司はもう一度同じ事を言った。
浩司は真剣そのものという顔つきで、カイトを自分の女呼ばわりする。
「あ、あのなあ浩司……」
「だからオレ、あんたはムラタに引き渡したくないんだ。研究所なんかに引き取られたら、二度と出てこれなくなっちまう」
「ヤツの研究所について何か知ってんのか?」
「詳しくは知らないけど、あそこはキナ臭いんだ。どっかの国の軍事予算から金が出てるって話もあるし。地域の警察もいざってときはあの研究所に協力するらしい」
「冗談だろ……警官にまで目ェつけられたら、逃げきれないぞ!?」
「だから、ほとぼりが醒めるまでオレの知り合いのやってる町工場に匿ってもらう。話はつけてあんだ」
思いがけないほど熱い調子で喋る浩司にカイトは戸惑った。
浩司には一度痛い目に遭わされてる。
だが今の浩司が嘘をついてるようにはどうしても思えなかった。
「オレ、あんたを自分の女にするって決めたんだ」
「な、バカッ…………」
カイトは自分の中にわけのわからない感情がこみあげてくるのを感じた。なぜか顔が真っ赤になってる。
「ほら、掴まれよ」
と浩司が手を差し伸べてくる。
カイトは決断を迫られた。
残るか。それとも、誘いに乗るか。
残れば、ムラタの研究所へ送り込まれる。
それならいっそ……
蜘蛛の糸にすがるような思いでカイトは浩司の腕にしがみついた。
浩司の持っていたキーで首輪の鎖が外され、カイトは自由の身となった。
「おまえの胸の感触、たまんねぇ」
「こんなとき、へんなこと言うな」
浩司の腕にしがみついてると、ハリウッド映画のヒロインにでもなったような気分だった。
その上、浩司が服の下にあいた手を突っ込んできて、カイトの胸を撫でていく。
「あくっ……ダメ、そこ敏感だからッ……」
耐えかねてカイトはフルルと身を震わせてた。
浩司は軽々とカイトを支えてベッドから降ろした。
素足のままだったカイトのためにサンダルまで用意されてる。
「いこうぜ」
浩司に手をとられ、カイトは廊下へと出た。
廃教室から一歩でも足を踏み出すのは数週間ぶりだった。
ずっと運動してなかったので、早足で歩くだけでも息があがりそうになる。
はたと気が付いてカイトはいった。
「沼作のヤツ……あいつが見張ってんじゃないのか?」
浩司は首を振って、意外なことを口にした。
「沼作さんがオレに教えてくれたんだ。あんたを助け出すなら今日がラストチャンスだって」
「あいつが!?」
「沼作さんはオレらの味方なんだよ。っていうより……ムラタの敵って言ったほうが正確か。小汚い用務員ってのは演技らしいな」
「信じらんねぇ……」
「あのカイトがこんな美少女になったほうが信じられねぇよ」
照れくさそうに鼻の頭をかく浩司の仕草に、カイトは怒る気力も失せてしまった。
階段を降りて一階の通用口にいくと、二人はそこから外に出た。
校舎外に出たとたん、涼しい風がカイトの頬を撫でていった。
「外だ……」
芝生の青臭い匂いが懐かしかった。
頭上を見上げると、夜空にぽっかりと明るい月が出ている。
「女の生理の周期って、月の満ち欠けに連動してるんだってさ。ほら、昔の人は生理のことを月のものって読んでたらしいじゃん」
「嫌なこと思い出させるな、バカ」
肘で浩司の脇腹を小突くと、お返しに乳首を指で弾かれた。
胸のピアスが金属質の音を立ててしまい、カイトは胸を押さえた。
「こっちだ」
と浩司は用務員用のプレハブ宿舎を指さした。
「直接正門にいかないのか?」
「しっ!」
突然浩司に押し倒された。
草の生い茂る地面に顔を押しつけられる。
「きゃっ……!」
悲鳴の途中で浩司の手が口に覆い被さった。
(また騙された!!)
そう思って死にものぐるいで暴れるカイトに、浩司が耳打ちしてきた。
「落ち着けよ。あっち見てみな」
「あァ?」
そろそろと顔を上げ、そちらを見ると、木立の中の暗がりをチラチラと光るライトが移動していた。
誰かが懐中電灯を持って歩いてるようだ。
「この時間、警備のために職員が見回ってる。沼作さん以外はみんな、研究所の息がかかってる連中だ」
「げ……」
「だから朝になるまで沼作さんのプレハブに匿ってもらうんだよ」
カイトたちは見回りの人間が通り過ぎるまで身を伏せたままじっと待った。
「ビクビクした顔のカイトも可愛いよなぁ……」
「るさいっ」
カイトにしてみれば、研究所へ連れていかれることを想像しただけで身震いがする。
女の体は暴力に対してあまりにも無防備だ。男のときには味わったこともない心細さを感じる。
「心配すんなよ。いざとなったらオレが守ってやっから」
「……うん」
「え、えっ!?」
「な、なんだよ。そんなビックリしたみたいに」
「いやぁ……あまりに素直な反応だったんで」
「しょうがないだろ。こんな体にされて、男に力でかなわないってのはイヤってほど身にしみてるからな」
「オッケー。オレに任せろよ。よし、そろそろ通り過ぎたみたいだな」
起き上がって草を体から払うと、二人はプレハブ宿舎へ向かった。
プレハブの小窓からは明かりが漏れていた。壁越しに小さくテレビの野球中継の音も聞こえる。
浩司はプレハブの戸をノックした。
「オレです。浩司です」
反応がなくて心配になってきたとき、ガラリと戸が開いた。
戸口に立っていたのはまぎれもなく沼作だった。
ねっとりとした視線を感じてカイトは身をすくませた。
「入んな」
そう言うと沼作はさっさと奥に引っ込んでしまった。
「お、お邪魔します……」
まず浩司が、続いてためらいながらカイトが中に足を踏み入れた。
「こっちだ」
と沼作が二人を招く。
入り口近くの部屋はちゃぶ台とガスコンロ、テレビがあるだけの質素な部屋だった。が、その奥にもう一部屋あった。
沼作はその奥の間から二人を呼んでいる。
カイトはまだ躊躇っていたが、浩司に手を引かれて強引にそちらへ連れて行かれた。
奥の間は最初の部屋とは全く違う趣になってた。
思わずカイトはつぶやいた。
「こういうの、どっかで見たことある、オレ……」
「ああ、アレだ、999の機関室とかだろ」
「うん。似てるな」
薄暗い部屋で大量のモニターや計器類が照明の代わりのように光っていた。
インターネットの画面らしきものもある。思いがけずここはIT化された場所のようだ。
モニターの一つは見覚えのある場所を映し出してた。
カイトの囚われてた廃教室だ。
ネット経由の映像らしく秒間数コマの割合で変更されてる。が、カイトがいないいま、映像に変化は殆どない。
「こんなカメラが……」
「ケケケ。隠しカメラってやつよォ」
カイトの反応に気付いた沼作が嬉しそうに相好を崩した。
「おめぇさんの映像にゃ世話んなったぜぇ。なんせ寂しい独り身でなァ」
沼作が部屋の隅を指さすとカートン単位でティッシュの空き箱が山積みになってた。
気のせいか部屋の空気が精液臭い。
通りすがりの女子高生が校門で作業をしていた沼作を指さして「近くにいるだけで妊娠しそう」と顔をしかめていたことがある。彼女らの気持ちがいまのカイトにはよくわかる。
沼作はカイトに顔を近づけると小鼻をふくらませ、やがてニンマリと笑った。
「女子高生の体育着臭がしやがる。たまらんなァァァ……」
「…………」
女として身の危険を感じ、カイトは浩司の後ろに隠れた。
沼作はそんなカイトの反応に肩をすくめると、一度奥の部屋を出て、茶を淹れて戻ってきた。
「今晩は二人ともここで寝るといい。そこに俺様の布団があるんで、それを使いな」
「ありがとうございます」
浩司はぺこりと頭を下げた。
(掛け布団の上で寝よう)
とカイトは思った。沼作の布団に入ったりしたら、それこそ妊娠させられかねない。
沼作がいまにも涎を垂らしそうな顔をしてカイトの姿をじろじろ見ているので、カイトは気持ちが悪くてしかたがなかった。
沼作がもうもう一つの部屋にいってくれたときはカイトは思わず胸を撫で下ろしていた。
「ったく、気味の悪い野郎だぜ」
「そういうなよ。沼作さんのおかげであんたを助けられるんだから」
「でも、あいつはムラタの手下じゃなかったのか?」
「演じてただけだよ。内偵って奴」
「内偵?」
「沼作さん、国家機関のエージェントなんだってさ。もちろん詳しい身分は明かしてくれなかったけど」
うさんくさいと思ったがカイトは黙ってることにした。
それより、明日以降のことで頭が一杯だった。
一度家に帰りたかったが、そこはムラタに監視されてる恐れがある。
するとやはり浩司の知り合いがやってる工場とやらにいくのがベストなのか……
茶を啜りながら、あれこれと思案していた。
プレハブの外に人がきたときはビクリと身を固くして息を殺したりしたが、沼作がうまく応対してくれて、カイトの存在が疑われることはなかった。
「やることもないし、寝るか」
浩司が布団を指した。
カイトを守ると宣言した通りに、浩司は今晩ここでカイトと共に一夜を過ごすつもりのようだった。
カイトは敷き布団と掛け布団を分割し、自分は掛け布団の上に陣取った。
「その……まだ一応、生理中だから。襲うなよ」
実際にはもう完全に出血は止まってるのだが、生理を口実にカイトは釘を刺しておいた。
浩司は案外あっさりとうなずいてみせた。
「わーってるって」
カイトはおそるおそる、浩司に背を向ける形で横になった。
鎖に繋がれずにこうして横になるのは実に久しぶりのことだった。
(襲うなよ、か……。完全に女の発想だよなァ)
最前の自分の言葉を思い返してカイトは複雑な気持ちになった。ごく自然に「襲われる」ことを意識してたのだ。
そして、「生理中だから」という言い訳をまさか自分が使うことになるとは思ってもみなかった。
かといって、こんなときまで浩司に犯されるのはまっぴらである。
カイトは浩司が突然後ろから襲いかかってきやしないかと用心していたが、数分もしないうちに浩司はいびきを立て始めた。
カイトはほっと体の力を抜いて、体を仰向きに直した。
幾つものモニターが薄暗い部屋の壁に光を投げかけている。
この異様な部屋は、沼作がただ者でないことを証明している。あの外見からは想像しにくいが、国家機関のエージェントという話もまんざら嘘じゃないらしい。
(となると……国家機関に見張られてるムラタのほうこそ何者なんだってことになるよな)
ムラタの研究所についてカイトは、山奥で怪しい研究をしてる(らしい)ところという以上には知らない。
ただ、時折こんな田舎には場違いな外国人の一団と学校のそばですれ違うことがあった。
いまから思えばあれは、ムラタの研究所に出入りしてる連中だったのかもしれない。
後ろ暗い研究をしたいのなら、山に囲まれたこんな僻地は絶好の場所だ。
そんなようなことをあれこれ考えながら、いつのまにかカイトはうとうとと眠りの世界に誘われていた。